ミルクと夕暮れ








ピンポーーン



「はい。」


時計を見ると午前7時31分




一度のぞき穴から外をうかがったら
訪問者の肩しか見えなかったから
チェーンをつけたままドアを少し開けた

数ヶ月前
宅急便です、の声を信用して
無防備にドアを開けたら
どう見ても配達中とは思えないような
あやしいおじさんが入ってきた
その時部屋には陽一が来てたから
おじさんはそそくさと帰って行ったけれど





あれ以来、陽一によく言い聞かせられて
玄関は簡単には開けないようにしてる


今日は、一体、だれ?








「おはよ。」

今日、玄関の前に立っていたのは陽一だった







私は急いでチェーンをはずす


「どうしたの?こんな時間に。」

「ごめん、今日夕方からこの近くで仕事なんだけどさ、ちょっと寝させて。」

「ね?寝るの?」

「うんごめん。ほんっと、ごめん。」


陽一は靴を脱ぎながら
片手を顔の前にたてて懇願する


「別にいいけど、今日休みだし、布団も干す前だったから。」

「ありがと。」





こんなことはよくあった
彼は仕事も遊びも、時間を忘れて熱中してしまうのが唯一の欠点
次の仕事までに、どうしたら一番長く睡眠時間をとれるか
そんな事を日々考えながら行動している

一体どこで何してたのか・・・
体を壊しはしないかと心配になるけれど
子供でもないんだから、と
彼の行動にはあまり口は出さないことにしてる





どこで何をしていようと
彼は私を裏切るような遊び方だけはしない


と、私は思ってるから








「何か飲む?すぐ寝る?」

「あー・・・そうだな。あったかいもの飲みたい。」

「じゃ、ミルクだね。朝ご飯は食べたの?」

「軽くね。」





小さな鍋を出して、牛乳を入れる
私も陽一も、電子レンジで温めたミルクは嫌い
ちょうどいい設定温度になったそれは
ミルクじゃなくて、”あったかい牛乳”でしかない
鍋で温めたときのような、あの容赦ない熱さのミルクが好き




牛乳を温めているあいだ
陽一は私のうしろでイスに座って
テーブルにほおづえをついてぼんやりしてる


ガスにむかっている私からは見えなくて
起きてるのか、寝てるのか
まさか目つぶったまま寝てるんじゃないよね?


ちらりと振り返って彼を見ると
振り向いた私に気づいて彼が「ん?」という顔をして
私は「ううん」と首を振って
ガスの火をすこし弱くする





「あ、そういえばさ。」

「ん?」

「今日、7時頃終わるって聞いてるんだけど。」

「何が?」

「仕事が。」

「あ、うん。」

「すぐそこだからさ、晩ご飯一緒に食べない?」





突然のデートの約束に一瞬で舞い上がったくせに
私は陽一に背を向けて、鍋を見たまま愛想のない返事





「明日早いのよねぇ・・・」

「じゃあ遅くまでは無理だね。」

「陽一もつらいでしょ。大丈夫なの?」

「俺は大丈夫。」

「今日は泊めれないよ?」

「わかってる。」





ことことこと、鍋のおと

わざと少し間をおいたあと





「どこ行く?」

「んー、この辺ならいっぱいあるね。どこがいい?」

「どこでもいい。今おなかいっぱいだから食事の事は考えられないの。」

「あぁ、わかる気がする。じゃ、夜歩いて決めようか。」

「うん。」





会話が終わったところで鍋を火からおろした


特に決めたわけでもないのに
いつのまにか陽一専用になってるマグカップに
いい音をたてて落ちていくミルク





「いただきます。」


陽一はいただきます、を言うとき
必ず作った人の目を見る



そういうところが、大好き、よ







「何見てんの?」

「あ、バレた?」

「俺そんなに眠そう?」

「ん、まぁね。」


私があまりに見つめるから
陽一はすこし照れて、飲みづらそうに
マグカップに口をつける


「ぶふっ、やめて。ほんと、見ないで。」

「ごめんごめん。今にも吹き出しそうだったからさ、いつ吹き出すのかなって。」

「遊ばないでよ人で。ほんとに、眠いんだからさ。」

「わかったわかった。私のベッドでいい?」

「あ、ごめん。シーツ干したかったら、いいよ俺ソファで寝るから。」

「何遠慮してんの。」





もう少し見ていたかったけど
あんまり飲みづらそうでかわいそうになったから

私は、寝室のドアを開けて窓を開けて
すこし湿っていた空気を外に追い出した











かち、かち、かち、かち





規則正しい音が聞こえる
俺ははっきりと目を覚ました
目覚めのよさは結構なものなのだ


えっと・・・ここは、どこだったっけ
きれいに片づいた寝室
カーテンの閉じた窓を見ると
陽が傾きかけているのがわかった

あ、そうか
彼女の部屋に転がり込んだんだ
今何時なんだろう?


時計を見ると
16時15分をさしていた


よかった。
携帯のアラームをかけたのは16時30分で
仕事は17時30分から
今起きても準備がゆっくりできるくらいで
どっちみち二度寝するには危険な時刻
このまま起きてしまおう



シーツをどかしてあくびを一つ
俺が脱いだあと彼女がそろえてくれたらしいスリッパを履いて
寝室を出た





彼女はリビングでパソコンにむかっていた

「あら、おはよ。」

振り向いた彼女は眼鏡をかけている


「コンタクトは?」

「休みの日だから面倒で。」





そう言いながら彼女は眼鏡をはずして立ち上がる
目の疲れをとるように、少しだけ瞬きを続ける

俺がパソコンを見て、仕事?と聞くと
そう。と頷く


来週の分、先に整理しときたくて、持ち帰ったの。と








まだぼんやりする頭で彼女の動きを目で追う
彼女は冷蔵庫からペットボトルをだして
口をつけてミネラルウォーターを飲んだ




「ぷはーっ。うまいうまい。」

「ずっと仕事してたの?」

「ん?今何時?」

「今、4時20分かな。」

「ありゃーそんな経ってたんだ?まだ1時くらいかと思ってたわ。」

「人の事言えないな。」




ふふん、って感じに彼女が笑顔をつくる
彼女の飾らない笑顔は
すっぴんだろうが眼鏡だろうが寝起きだろうが
一番輝く瞬間だと俺は思う

かわいらしい女の子、っていうのは世の中たくさんいるけど
輝く笑顔を持つ女の子、は、
芸能界のなかにいてもそう容易く見つからない








「何時に出る?」

「ん、5時かな。」

「あ、そう。じゃあ私は5時まで休憩。」





彼女の言葉にちょっと目が覚めた思いで
洗面所に入った

鏡を見ると
俺の髪型はさすがに外には出られない形になっていて
俺が起きてきたときに彼女はよく笑わなかったな、と思うほど

鏡の前にたてられたハブラシは二本
もちろん片方が俺のハブラシで

別に一緒に住んでるわけではないのに
俺の不規則な生活を知って、彼女がある日用意してくれた
今日、ここに来た理由に歯を磨きたかった、というのもある
風呂を貸してくれる友達はいるけど
ハブラシを貸してくれる友達は日本中探してもいないだろう



もちろん、彼女に会いたかったのが一番の理由だけれど







顔を洗って、歯を磨いて、寝ぐせをどうにかして直して
洗面所を出て彼女の前に現れたときには
彼女はテレビを見ながらひとりで何か食べていた
コンタクトも眼鏡もしていない俺には
それが何なのかさっぱりわからず、素直に聞いてみる




「何食べてんの?」

「あ、陽一もほしい?」

「何それ?」

「色々あるよ。チャイがいい?レーズン?グリーンティ?」

「???」

「・・・あ、ごめんごめん。ハーゲンダッツの事だよ。」

「寝起きにはキツイ質問だった。」

「だよね(笑)食べる?」

「いや、やめとくよ。食べてるうちに時間がきちゃうから。」

「あ、そっか・・・」




時計を見たときの彼女の横顔が少し寂しそうで
俺はなんとなく満足感を覚える





「仕事終わったら、また帰ってくるから。」

と、言うと



彼女は意外にも素直に

「うん。」

と、うれしそうに笑った









彼女の部屋を出て、陽が傾きかけた道を歩く

ゆうべは研究室に入ってる友達の興味深い話を聞いて徹夜
朝寝て夕方起きて仕事に向かう


体にも年齢的にもつらい時間なのに
妙に晴れやかな気分で仕事に向かえるのは
終わったあとも彼女の笑顔が見られるからなんだろうな


そう考えながら
それに気づかないふりをして
少し早足で駐車場に向かった












「・・・?」





車に乗り込む直前に
何かを感じて振り返ると

4階の彼女の部屋のベランダに
眼鏡をかけた彼女

俺を見送るつもりなのか
大好きな夕暮れを見ているのか
どっちなのか本気でわからなかったが

彼女が、俺と彼女の大好きな
鍋で温めたミルクを飲んでいるのだけは
わかった





俺がすこしだけ微笑んでみると

彼女が手を振った










































ついつい調子に乗って、日常の風景北山編も書いてしまいました。
こういうのって、書いてるとどんどん出てくるんですね。
日常って一番際限ないじゃないですか。しあわせの形って。
マグカップひとつにも、ハブラシひとつにもしあわせはつまってる。
こういう形って、さりげなければないほど、しあわせだよね。
どんどん出てきそうです。



※ページをとじてください。