あの夕暮れを忘れない












別れは意外にあっさりしていた



彼女は恋人だった頃からよく泣いた
急に黙ったかと思えば、よく泣いていた
彼女に言わせれば、なにか心にひっかかってから
言葉にできるまでに時間がかかるのだという
言葉をさがしているうちに、沈黙が重くなり
その空気に焦りに焦って、涙が出てきてしまうのだという


そんな彼女との別れは
思っていた以上に、あっさりとしたものだった





彼女が泣かなかったから
フロントガラスに映った夏のおわりの夕暮れが
余計に悲しく感じたなんて
俺の勝手すぎる唯一の心残りだ













別れなんて今までに何度も経験しているし
彼女と別れたのだってそれなりの理由があった
互いの時間があわないのと、彼女のなかなか見せない本音
そのうえ俺の核心に触れるまえに離れてしまう臆病さのせいで
単に合わなかったのだろうと結論をつけた


しばらくはもちろん、空いた穴はどこか埋まらなかったが
それも、他のもので埋め合わせようなどとも思わずに、
1ヶ月もすれば気持ちにケリがついたのだ

















彼女とよく待ち合わせたのは、銀座3丁目プランタン銀座の前
その場所も、2週間もすれば何事もなく通りすがれるようになった
今日もその交差点にさしかかったとき
俺は見てはならないものを見た




彼女が、知らない男と肩をならべて歩いていたのだ







思わずブレーキを踏むと、後続車から短いクラクションが鳴らされる
彼女がその音に気付ぬよう、俺はスピードをあげてその場から走り去った


それがなぜ、見てはならないものだったのか・・・
なぜブレーキを踏んだのか・・・
俺は心にひっかかりを覚えたまま、帰路につき
自宅に帰って扉を閉めて、はじめてその理由に気付いた








彼女は、まだ俺を想ってくれていると
俺は根拠もなく信じ込んでいたのだ


別れのときに涙を見せなかった彼女
つきあっていた間も、満たしていた時間よりも
不安がらせたり、さみしい思いをさせた時間のほうがはるかに多かったはずなのに
彼女は恨み言ひとつ言わずに、別れを飲み込んだ


彼女にあげられたものなどひとつもなかったというのに
俺はなにを思い上がっていたのだろう





埋まりかけていた穴が、急速にその淵を広げていくのがわかる





追っていたのは俺のほう?
さみしかったのは俺のほう?
別れ際に、彼女は当然泣くと思ってた
泣いて、いやだ 別れたくないと言うと思った

彼女の態度に心残りを感じたこと、それこそが
俺の中にいまだ残る、彼女への気持ちだったのではないのか

そしてそれを口に出せなかったことが
俺の、今まで何度も繰り返してきた、俺の、弱さなんじゃないのか
















それに気付いてもなお、動けずにいる俺がいる


俺は自宅のソファに座りながら
ほんとうにささやかにしか作れなかった彼女との思い出を
そっと思い出していた





















「別れ、る?」

その言葉を先に口に出したのは確か彼女だった


「・・・そうしようか」

そして賛同したのが俺のほう



「お互い疲れることのが多いと思う。・・・俺は、そう思った。」

最後にそう付け加えたのは、彼女の意見も聞きたかったからだ
だが、彼女の返事はなかった


泣いていると思ったが、盗み見た彼女は無表情だった






「俺、仕事だから、行くよ。駅まで送る。」

「・・・いいわ。私、歩いていく。」

「そうか。」



こういうとき、引き止めるべきじゃないのはわかっているが
引き止めてほしいと思っている女性も、実は中にはかなりいる
と、どこかで聞いたことがある


俺にはわからなかった


ただ彼女の一向に崩れない表情が
俺を頑なに拒否しているように見えて、怖気づいたのが本音だ













そう


先に立ち去ったのは俺のほうだった





彼女が助手席からおりて、ガラス越しに俺を見つめる

その視線を先にふりきって、前を見据えたのも俺だ

その時見えたんだ

フロントガラス越しに、さみしい夏の終わりの夕暮れが・・・








心に何かつっかえても、それを言葉にできるまでに時間がかかる

そんな彼女の、言葉を何ひとつ待たずに

俺はどうしてあの場から逃げるように立ち去ったのだろう




涙を流すのさえ、きっと時間がかかったに違いない

俺が走り去って、夕暮れのなか、車が見えなくなった頃

彼女はあんな街中で、ひとり取り残されて、声を殺して泣いたのだろうか


































まだ彼女は、先ほどの男と一緒にいるだろうが

気にはしていられなかった



気付いたら、彼女に電話をかけていた

彼女を恋人と呼べていたあの頃、

俺は一度だって、彼女のためにここまで必死になったことが

あっただろうか・・・?










一度目のコールでは彼女は出なかったが

1分ほどしてすぐにかけ直してきた









「ゆうじ・・・?」


電話のむこうは騒がしかったが、
彼女がトイレにでも入ってかけているのか
それらは壁一枚へだてたほどの音量で、
俺たちの会話に割り込んでいた





「ゆうじだよね?」


返事をするのを忘れるほど
彼女の声はなつかしい


「あぁ・・・俺」

「どうしたの」

「今、どこ」

「えっと・・・有楽町の駅前で・・・」



今、どこ、と尋ねてどうするつもりなのか
俺はまた返事を失う



「ゆうじ、どうしたの」

「あぁ・・・どうしてるかと思って。でも、出先なら・・・切るわ」





出先とわかっていて電話をしたのに
そうやって引いてしまう辺り
俺は引き止めてほしいのか、
単に、他の男との時間を邪魔できればそれでよかったのか
”切る”といいながら、彼女から切ってくれ、と願う自分がいる
でも彼女はやさしいから、きっとそんなこと、













しないはず



















「そう・・・じゃあ、切るわね」




















頭と心に、かすかな衝撃


そうか、これか

彼女が、うまく言葉にできずに黙り込んでしまう感覚

ようやくわかったかもしれない








好きだから、簡単に言葉になんかできやしない

切らないでくれ

切らないでくれ



言葉にできないんだ

もう少し、待っていてほしい






















電話は切れた






























あの日、俺の車のフロントガラスに映った夏の終わりの空

それは悲しい夕暮れだった



彼女をそんな悲しい色の空の下

置き去りにして、俺は逃げた






彼女から、

彼女を満たすことができない不甲斐なさから、

自分の気持ちからも逃げた


しかし逃げ切れなかった






おなじだけの時間を過ごしたのに

ちゃんと向き合っていなかった俺は

自分だけ簡単に忘れたふりができた













今、本当の意味で彼女が離れてゆく


忘れてはいけない、と思った










彼女を傷つけたこと

自分が傷ついたこと

償う術はなくたって、忘れてはいけない

忘れていいはずがない















いつか誰かをしあわせにするために

あの悲しい夕暮れの色は、忘れてはいけない。







































必ずしも、相手と自分におなじ時間が流れているとは限らない。
相手の時計がとまってから、自分が動き出すこともある。
それは、しかたのないこと。けれど、忘れてはいけないこと。





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