届かない想い























とりあえずどこかお店に入ろうと言ったのは

私だった





私の部屋にあげるわけにはいかなかったし

かといって、もう一度店に戻って

浩二のことをあれこれとカツさんの目の前で話すのも気がひける

私は飲めないにしても、相手に多少お酒が入ってくれれば

それだけで幾分は話しやすくなるはずだと踏んだ







「近くに知ってる店がある」と、てつやが言って

タクシーでついたお店は純和風な居酒屋だった



店員の接客態度がいいのが印象的で

和紙で造られた間接照明がいたるところに置かれ

個室は掘り炬燵風になっていて店内はうす暗い

すでにカップルや仕事帰りの女の子達が

個室で酒や料理を囲んで話に花を咲かせていた



私は入った事がない店だった









「とりあえず、生」


てつやはメニューを見ずにおしぼりとお冷やを持ってきた店員に言った


「えっと、私はウーロン茶」

私もすかさず言う



店員は若い女の子で、にこりと笑って『かしこまりました』と言い

奥に消えていった





「飲まねぇの」

「実はあんまり強くないの」

「だろーと思ったよ」



てつやはメニューを広げながら白い歯を見せた

さっきの否定的な笑いじゃなく

今度はすこしばかり温かくて、軽い微笑みだった









メニューを見ながらてつやは『あれ?』と言って

唐突にサングラスを外した



「見えねぇと思ったらサングラスしてたわ」



へへ、と笑ったその素顔は

10年前の彼と何にも変わっていなくて













心臓を直接平手打ちされたような衝撃













目をそらすべきだったかもしれない





あまりの懐かしさに、つい目尻が下がってしまった





声にさえ出なかったけれど

口の中で、てっちゃん、と呼びそうになる





平手打ちされた心が、ひりひりと痛む









てつやは気づかずにメニューに目を落として

ここはエビマヨがうめぇんだ、とか

なんだこれ、前来た時はなかったぞ、とか

私にしゃべっているつもりなのか、一人言なのか

ずっと何かしゃべっていた



















こんな風に、てつやと居酒屋なんかに来て

一緒にごはんを食べて、お酒を飲んで

おしゃべりをして、何よりてつやの笑顔を

目の前で、ずっと、ずっと見ていられることを





私は今までどれほど望んで

どれほど願って

どれほど夢見て

そして、何度それを

心の奥底で押し殺してきたことだろう…







ふと、気が緩むと

10年間圧縮され続けてきた想いがふやけて

何倍にも膨張されて、それに飲み込まれそうになった



てつやを見つめ返したりしたら

無防備な涙が、落ちてしまう気がした



私はてつやが早くお酒に口をつけてくれるのを待った





てつやが少しでも酔っぱらってくれたら

ずっと言えなかったことも

言わなくちゃいけなかったことも

言える気がしたから











今はまだ、言えない





まだ、言えない









まだ……











































































店内は相変わらずざわついている



時折、女の子の「うそー」とかいう高い声や

中年男性の笑い声

店員の威勢のいい「いらっしゃいませ」が響いて

店内は鮮やかに雑音が入り乱れていた









てつやの前に

4本目の空になったジョッキがどん、と置かれた



ここまでに

私はてつやの「納得のいく説明」をしていた





浩二という恋人がいること

それがどんな恋人で、自分にとってどんな存在か

転勤の話がでていること

アメリカに行かなければいけない事と、仕事の内容と

それがどれほど私が夢見てきた仕事であるか

絶妙なタイミングで浩二にプロポーズされたこと



それに昨夜、浩二と口論になったことや

そこで私が口走ってしまったこと



それによって、浩二をどれほどに傷つけたかということ…




「てつやが悪いわけじゃない」


そう言うと、てつやはふん、と鼻で笑った

かけ直したサングラスの中が見えなくて怖かった



確かに、鼻で笑いたくなるような陳腐なセリフだったけれど

それは紛れもない事実だったし

てつやにわかってもらいたかったからしかたない



ただ私が、私の心の中で勝手にてつやを巻き込んで

まるで心の中に、浩二の他にもてつやが棲んでいるかのように

誤解を招く言い方をしてしまった

(それは誤解ではなく真実だけれど、誤解にしておかなければいけない)



その誤解を解くまでは

てつやと平気な顔で会っているのは気が咎めるのだということ







私は必死に釈明した



てつやが気を悪くするのも嫌だったし

カツさんとてつやの間の、年の差を感じさせない友達関係も

私は好きだったから

私の勝手な心情の為に、二人の信頼関係を壊したくなんかなかった



避けているのは、会いたくないからなんかじゃない

浩二にとっさに口走った事が嘘ではなく本心で

それを自分自身で気づいてしまったからには

これ以上会っては、いつか近い将来流されてしまう気がしたから

















話し終わって、数分間

てつやも私も黙ったままだった



一気にまくしたてた後であるのと

てつやの反応が気になるのとで

ほとんど気を失いそうに落ち着かなかった

お酒は一滴も飲んでいなかったのに

頭の中がざわついて、強く脈打っていた











周りのざわめきがようやく耳に戻りかけた頃

私の目を見ずに、てつやがようやく口を開いた





「要するに、俺は邪魔なわけだな。二人にとって」

「そんなんじゃない」

「いや、そういう事だろ」


たたみかけるように、てつやが早口に言う







実際にはそういう事だった



私が浩二と続けていきたい、と思う限り

浩二を愛している限り

てつやは誰がどう見ても、私の心を乱す”邪魔な元彼”でしかないのかもしれない





でも…私の中はそれでは片づかない

片づくはずがない、と本気で思った









「俺が邪魔じゃなきゃ何だよ?口滑らせたのは確かにお前だけどな、俺がいなきゃお前は…」


ビールがまわってきたのか

てつやは控えめにしゃっくりをして顔をしかめる


「何?」

「俺と再会さえしなきゃお前は今頃その指輪受け取って舞い上がっていられたんだろうよ」

「そんな風に言わないで。てつやの事がなくたって、私は浩二のプロポーズは断ってた」

「なんでだよ」

「アメリカに行くからよ」



今度こそ本気でてつやは肩をすくめて

天井を仰いであきれかえった

話にならないとでも言いたげに鼻で笑う



「…何よ?」

「そういう言い訳?」



てつやの言葉に、瞬間的にカっと顔が熱くなる



「私真剣に言ってるんだけど」

「俺だって真剣だっつぅの」



何か言い返そうとする私をさえぎって

てつやが店員を呼んでお酒を追加注文する





「俺があきれてんのは、お前が口滑らせた事でも、彼氏を傷つけた事でもない」

「…じゃあ何?」

「目の前に幸せが転がってんのに蹴飛ばして突っ走ってる事だよ」

「アメリカに行かない事はチャンスを蹴飛ばす事にはならないの?」

「どっちかを取れなんて酷な事は言わねぇよ。そんな権利は俺にはないし」

「その通りよ」



わたしは憤慨して言い返した











「俺には、お前が仕事を理由に彼氏と向き合わないようにしてるようにしか見えねぇ」











周りのざわめきが、一瞬ぴたりとやんだ気がした

自分自身で考えまいとしてきた事を

唐突に指摘された





「言い方を変えれば、どれにも向き合いたくないから、それぞれを言い訳にしてんだよ」

「………」









違う、と思った

てつやの言っていることは、いちいち正しいけれど



それだけはなんだか、違う…









「そんなんじゃ何も手に入んねぇぞ」

「……」









そうじゃない

てつや、そうじゃないの…









「俺は…まぁ俺が言うまでもないかもしんないけど、結婚してアメリカ行くんじゃだめなわけ?」

「…」



























ちがう、そうじゃない、と思いながら



私は、今ようやく自分の心がわかった





てつやの口から言われて気づいた





















どれにも向き合えなかったわけじゃない







































































てっちゃんしか、見えなくなっていたからなんだよ…















































てつやは、タイミングよく届いた生ジョッキを一気に半分くらい飲んで

はぁ、と熱いため息をついて

ぽつりと呟いた







「……お前見てると、自分を見てるみたいなんだよ…あの頃の…」







てつやが自嘲気味に鼻で笑って

皿に残った唐揚げをひとつ指でつまんで口に入れた

味気ない感じにそれを噛みながら



てつやは最後の言葉を言った







「しあわせになれよ。今度こそ。」





















そんな事が言ってほしいんじゃないのに



と心の深いところで思いながら

それは言ってはいけないことだ、と思った





唇を噛みながらうつむく私を見て

てつやは、私が怒っていると思ったかもしれない





その方がよかった















もう、私達の間ではなにも通じ合ってはいけない





それが

その事が



無性に悲しくて、悲しくてしかたがなかった



















































































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