俺とあいつの事情























妻が死んだのは、今から10年前のことだ





一人息子は当時高校2年生で

最近彼女ができたとかで、帰りが遅かったり

長電話をしたりしはじめた

そんな矢先の、出来事だった



もともと肺が弱かった妻は

風邪をこじらせて入院し、そのまま苦しみから解放されることなく

息子に見守られながら逝ってしまった



俺が病院に駆けつけたころ

息子はたっぷり水を含んだような腫れた目をして

俺に低い鼻声で呟いた




「・・・なんでもっと早く来なかったんだよ」




寒い、寒い夜のことだった













その後数日、俺は店を閉めた

すべてを放棄して、毎日カウンターに座って音楽もかけずに呆けた



息子はまだまだ手も金もかかるし

店には常連客も多くいる

働く理由はそれまでと変わらずあったのに

妻の死に目にあえなかったことが、俺の体からすべての力を抜き取った









彼女と一緒になり、息子が生まれ

守るものができたことで強くなったと思い込んでいた





俺は、弱かった





















うつろなままの目と足取りで店を出て

俺は外から店の扉の前に立った

店の看板をじっと見つめて、深呼吸をする





もう、俺にはなんの力も残っていない・・・















「カツさん?」





その時、背後から声をかけられた

振り返ると、明らかに寝起きとわかるような目つきで

のばし放題の髪、真っ黒のトレーナーに豹柄のハーフパンツ

茶色と赤の混ざった複雑な色模様のマフラーを巻いた

ポケットに手をつっこんだ青年が立っていた




当時、常連客になったばかりの大学生

ヴォーカルグループをいくつもかかえる歌い手で

その年では珍しいほどの音楽への熱意を持った奴だった


彼は毎日のように店に訪れ

音楽の話や、将来の話を自由気ままに話し続けた


時には弱音や愚痴もこぼした

学校や仲間の間では、たいていは”リーダー”で通っているらしく

弱味を見せられる場所が限られていたんだと思う


だがどんな日にでも

彼が当時つきあっていた彼女の話を欠かしたことはなかった

目つきの悪い(本人は否定するが)図体のでかい男が

店に現れては彼女のノロケ話をこぼしてゆく


そんな彼は実の息子より幾分か素直で

俺は息子とまではいかなくとも、後輩か弟のようにかわいがっていた













「・・・お前か」

「最近どしたの。全然店開けないでさ」

「・・・」

「開けてよ。カツさんに話したいこといっぱいあるんだけど」

「今日は・・・開けない」

「なんで?なんかあったの」

「お前には関係ない」



いくら親しい間柄とはいえ、客にそんな冷たい言葉を投げつけたのははじめてだった

彼はそのまま帰ってしまうだろうと思った

俺が自分を責めるように、拳を握ったその時



「・・・関係ないかもしんないけどさ。店、開けてくんなきゃ困るよ」


彼はぶっきらぼうにそう言った

俺はあわてて答える


「困りゃせんだろう別に。他の店にいってくれ。俺はもう、できんかもしれん」

「なんで・・・」

「・・・」

「なんでだよ」

「もういいだろう。帰ってくれ」

「待ってよ、カツさん。やめないでくれよ」





背をむけた俺に、彼は一歩近づく

それはすがるような声だった






たまらなくなって俺は声を荒げた



「どうしてそこまでしてっ・・・」















振り返った俺は、つい言葉につまる

彼が、なにかとてつもなく切羽詰まった顔をしていたからだ

小さな子供が、ある日突然に母親に捨てられたかのような

そんな、心細い目を・・・



一瞬ひるんで、彼と俺の目が合うと同時に

彼はふらりとその場にしゃがみこんだのだ



一瞬、地面に落ちたものを拾おうとしているのかと思ったが











ちがった







彼は、両手を額に当ててうなだれる

顔がかくれて、表情が読みとれない







「・・・テツ、どうした?具合でも悪いのか・・・?」



静かに話しかけても、彼はそのままの姿勢で動かない

道ゆく人がちらりと俺たちを見やる

俺は、わけがわからないまま

テツのそばに寄り、同じようにしゃがみこんで彼の肩に手をやった









「一体どうし・・・」




「カツさん・・・俺、デビューするんだ」

















拍子抜けな報告だった





彼の様子から、なにかよっぽどショックな出来事でもあったのかと思ったから

同時にすこし安心した



彼のそんなふうになる様子は、はじめて見たからだ









「そうか。おめでとう」

「・・・ほんとに、めでたいのかな」



彼が鼻で笑いながら言う

そんな彼ははじめて見た



「どうして?」

「・・・俺の欲しいものは、そんなに贅沢なものなのか?」

「・・・どうした。何があった」

「あいつのそばで歌うたうことの、何がそんなにいけないのかな」





あいつというのが誰かはすぐにわかった


いつも彼が遠回しなノロケ話を聞かせる

当時つきあっていた彼女のことだ


彼女は高校生で、親が厳しくてそこらのカップルのようには会えないと言っていた

彼の口癖はこうだった




『彼女がハタチになったら、絶対この店連れてくるからな。あいつと酒飲むのが俺の夢。』















「何が、あったんだ?」



俺はもう一度、ゆっくりと尋ねた


彼は両手で顔を覆ったまま、大げさなやり方で一度だけ深呼吸をする

そしてぴたりと呼吸をとめて、一息でこう言った















「あいつの親父さんに、俺らのデビューの話、妨害されたんだ」

「・・・なんだと?」

「・・・くそっ・・・」



彼が下唇を噛むのが見える

俺はつい彼の肩を揺さぶった



「テツ、どういうことだ!?」

「わかんねぇよ!・・・彼女の親父さんがどこのどれほどのお偉いさんか知らねぇよ。
なんで俺のことそんなに嫌がんのかも、もうそんなこと知らねぇよ・・・けどさ・・・こんなのあんまりだよな」

















俺はそれ以上のことは聞かなかった



それでも彼らのデビューが決まったということは

二人がどうなったかは聞かずとも想像がついたからだ



若いふたりにとって、それがどれほどの非情な仕打ちであったかは

俺にとっても想像するに容易かった













彼はあまりに気が動転しているようだった



きっと誰にも(デビューを控えた仲間には尚更)言えずに

数日間ひとりで抱え込んでいたことは見てとれた



涙こそこぼさなかったものの

彼は歯をくいしばって、顔を覆っていた両手は

いつしか拳にかわっていた









俺はその時、こんな道の往来ではと思い

ついには必然的に店を開けることとなる





































注文も受けていないのに

俺は彼のために酒を造った



カウンターに「ほれ」と言って出すと

彼はぼさぼさの頭をふらりと下げて、「スンマセン」とつぶやいた


でも、すぐにグラスに手をつけず、しばらく呆然としていた

誰かにその衝撃的な出来事を話したことで

すこし、落ち着きを取り戻したようだった





俺はというと、1週間ぶりに妻のことを考えずに酒を造る時間ができた



俺自身、落ち着きを取り戻してゆくのがわかる

今はただ、彼が口を開くのを静かに待った









彼は涙こそ流していなかったものの

何度も、間をあけて洟をすすった

たまに親指と人差し指で鼻をこすって

小指でこめかみを掻いたり、うるさそうな前髪をかきあげたりして



そうしているうちに時間が経っていき

グラスの中の氷が、カランといい音をたてて形を変える

















その音に反応してか、彼の頭の中でようやく気持ちを言葉にするに達したのか

彼はゆっくりと、その口を開いた















「・・・約束してたのにな。カツさんの店で飲むの」



ぼそりと、つぶやいた



「あいつ・・・いかにも酒弱そうなのにさ、俺と飲み比べるんだって張り切って・・・バカじゃねぇの」















言葉の端々まで、今まで彼が俺に聞かせたノロケ話と変わりなかった

だが、声の抑揚のなさは、今までにない別人のようだった







その時、つい俺が彼にかけた言葉はこうだ















「なら、お前が誰にも文句言わせないくらい偉くなって、それで迎えに行けばいいじゃないか。
それが叶うまで何十年だって店開けて待っててやるから」



























夫として、父親としてそれまで覇気をなくしていた俺は

その店のカウンターの中で、客を待つ主人として

もう一度だけ、やり直す力が沸いたのだ







それは、単純に

テツのあの自信に満ちた快活な笑顔が見たかったからに他ならない



















































今、彼は追い求めた色んなものを手に入れた


今、望めば大抵のものは手に入れる力を持っているけれど



俺が、今も忘れない

あのささやかな約束だけは

いまだ果たされていない











『彼女がハタチになったら、絶対この店連れてくるからな。あいつと酒飲むのが俺の夢。』

























































































    <<BACK        NEXT>>

SoulSerenale, TOP


photo by <凛-Rin->
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送