黒沢























10年前

と別れた夜から
数えてたわけではないけれど
たしか、およそ1週間後くらいの
なんでもない火曜日の昼下がり
俺たちのデビューが決まったと電話が入った


一番わかりやすく喜んだのはメンバーの黒沢で
奴はまじりっけなし純度100%って感じの笑顔で
「おい、がんばろうなーテツ!」と言って
俺の肩をたたいた


俺だって、もちろん嬉しかった
メンバーの誰にも、この喜びも情熱も
負けてないと思った
意欲はものすげぇあったと思う



誰だって、何だって

何かを手にするときは何かを失うときだ、って

それくらいは覚悟してた







俺はとの別れの夜を
二階の窓から俺を見下ろす、悲しい女神のようなの姿を
あの光景を

一枚の絵画のように
決して生き返らない蝶の標本みたいに
ピンでとめて二度と動き出さないように
ほんの少しも、俺の心をかき乱さないように




俺はあの夜を
眠らせることにした








俺は、を犠牲にしたわけじゃない

と別れたから夢がかなったわけじゃない

俺の夢のせいでを傷つけたと思いたくなかった

俺たちがだめになった理由は

そこらのカップルとなんら変わりないものと思いたかった



ただ若かったとか

趣味や遊びにかまけて彼女をほったらかしにしたとか

遊びたい盛りの大学生にありがちな

「なんとなく、つまんない」とか・・・






俺も、も、

さっさと他の恋で上書きできるような

そんな終わりだったのだと思いたかった




でないと、俺は

あとすこしで

歌うことが嫌いになってしまいそうだった
























「テツ」


ある日、黒沢に呼び止められる
デビューが決まって1ヶ月後くらいだった

場所は大学の構内で
俺は授業がおわって教室を出たところだった


「なに、なんでこんなとこいんの」

黒沢と俺はちがう大学だったし
サークル活動で黒沢はよく俺の大学に出入りしてたけど
授業のある棟で見かけたのは
それがはじめてだった




「お前に聞きたいことあって、待ってたんだよ」

「何、授業おわったら仕事で会うじゃん。今日事務所いくだろ?」

「事務所じゃ話せないことなんだよ」

「どんな話だよ。俺まだ授業あんだけど」

「そんなのサボれよ。大事な話だからさ」

「・・・べつにいいけど。じゃぁ俺つれに代返頼むからさきに行ってて。学食な」


黒沢は神妙な顔つきだったけど
俺はとくに気にとめなかった
仕事の話とか、曲作りに関する
いつもの黒沢のちいさな悩みの相談かなにかだと思った

俺の、黒沢の見方が変わったのは
この日がはじめてだったと思う
















手をあげて俺を呼ぶ黒沢は
学食で窓際の席をとって、カレーを食べてた

このころ黒沢は
うちの学食のカレーを好んで食べにきてた
学生食堂にしてはうまいカレーを出す、と絶賛してた




「何、話って」

「テツ、なんか食べないのか?」

「あぁ・・・食欲ない」




今さぼってきた授業は3限で
このあとは昼休みだった
3限の授業が、ないのかサボったのか
この時間空いてる奴はだいたい早い昼食をとったりする

学食はほどよく人が入っていた




実は俺は学食に足を踏み入れたのは2〜3週間ぶりくらいで
最近ほとんど授業と仕事を言い訳に昼飯をぬいていた

それは単に、食欲がなかったから












「それで、なんだよ」


授業をさぼらせて呼び出したくせに
なかなか切り出さない黒沢をせかす

黒沢はカレーをつついて
じっとしたままだ

俺がくるまで明らかにがっついて食ってたくせに
急に食欲を落として言いよどんでいる黒沢を見て
俺ははじめて様子がおかしいことに気づく




「黒沢」

すこしイラっときて
俺は黒沢の名を、はっきりと呼ぶ

黒沢は顔をあげて
しっかりと体ごと俺のほうを向いて口を開いた







「テツ、お前こないだまでつきあってた子、どうなったんだ」







一瞬、なんのことかわからなかった



のことを眠らせてから1ヶ月と1週間が経っており
俺のなかで「こないだまでつきあってた子」というのが
誰をさしているのか、ピンとこなかった




「・・・別れたっつったろ」


つい、低い声になる



「なんで?」

「なんで、って・・・」



黒沢と恋愛話になったことはもちろん何度もあったが
俺があえて自分から言い出さないことを
こうやって黒沢のほうから問いただされたのは
はじめてだった

俺はつい口ごもる



「なんとなくだよ」

「うそだ」

「なんだよ、”うそだ”って。嘘じゃねぇよ」


ざわつく気持ちを必死におさえて
俺は黒沢から目をそらして窓のそとの遠くを見る
・・・フリをする




「お前、あの子すごい大事にしてたじゃん。顔とか見たことないけどさ、
”あーテツは彼女が大好きなんだなー”って俺すごい思ったもん」

「そりゃ彼女だったんだから好きだったよ」

「あんなに彼女を大事にしてるテツは、悪いけどはじめて見たよ」

「あのさぁ、だからなんなわけ!?」

「だから”なんとなく”別れるはずないと思う」



俺はおおげさに笑ってあきれたフリをする
笑い方がへんにかわいてしまって不自然になる







たのむから


それ以上触れないでくれ







「んなこと言われたって知らへん。お前が俺らをどう見ていようと別れたもんは別れたんだよ」

「他の理由があるんじゃないのか?」

「何が言いたいんだよ?あったとしてもお前になんの関係があるわけ!?」

「関係あるんだろ!?」



かちゃん、と持っていたスプーンを
音をたてて黒沢は皿のうえにおとした

隣の隣に座っている暗いかんじの男子学生が
ちらりと俺らを見た












「・・・俺、知ってんだよ」



黒沢が、ついにスプーンを置いて
俺から目をそらす



「お前が彼女と別れなかったら、俺らはデビューできなかった・・・」

「・・・・・・・・」



俺は無意識にひざの上で拳をにぎる

すでにその時点で
手のひらは汗でびっしょりだった



半開きになった口でようやく呼吸をする

でも針であけたほんの小さな穴から空気がもれるように
うすっぺらで窮屈な呼吸しかできない










俺はとんでもない失敗をしてしまったような気分になる


”そのこと”は、俺は誰よりもメンバーに知られたくなかったのだ










あいにくうちのメンバーはどいつもこいつもガキで不器用で、
働くってことも、デビューするってことも、何ひとつ自覚してなくて、
俺のこの犠牲を、夢や仕事のためだと割り切ってくれる奴はいないのだ






大好きなカレーが目の前で乾いて不味くなっていくのに
いまにも泣きそうな顔で困惑してる

そんな、バカでガキでどうしようもないくらい
優しい奴らだから












だから、知られたくなかったのに





















黒沢がなぜそれを知ったのか
聞くこともできなかった

それは正直、どうでもよかった







「・・・・・・そんなこと、取るにたらないことだろ?」




この一ヶ月と一週間かけて
自分に言い聞かせてきたことを
はじめて口に出して黒沢に聞かせる

聞いた黒沢はますます泣きそうな顔になって
そして半分あきれたような顔で俺を見る


「なんでだよ?そんな・・・
・・・こんなのアリかよ?彼女の親父さんて誰なんだよ?なんで?」

「知らねぇよ。どこのどんな偉い人間か知らないけど、少なくとも業界の人間なんだろ。
自分の娘が、その世界の人間とつきあってくなんて考えただけでゾっとしたんだろうよ。
しかも、売れるかどうかもわかんねぇこんな若造にさ」




汚い世界であるのはいくら平和主義の黒沢でもわかってる

身をもって知るのはこれからでも
並の神経じゃやっていけないことくらいは想像がついた

俺たちはそれを音楽への情熱で乗り越えていける覚悟はあるが
それを知り尽くしている人間が、自分の娘を業界色に染められたくない気持ちもわかるし
ましてや彼女自身は高校生だ

親が立ち入ってこなくとも
つきあっていくうちに彼女が根を上げるという可能性も
なくはないとも思ってた





・・・そう、思おうとしてた、というだけの話だが








黒沢はそれ以上はなにも聞かずに
ただがくりと肩を落としていた

ようやく目の前のカレーが食えたもんじゃなくなっていることに気づき





「・・・ごちそうさま」



とちいさくつぶやいた











学食を出て
俺たちはめずらしくふたりで陽のあたった敷地内のベンチに腰掛けて
黙ったまま時間をすごした

まだ授業は終わっていなくて、人も少なく
中庭の雰囲気はごくごく控えめなかんじだった


腕時計を見ながら通り過ぎていく女の子や
芝生で寝転んで雑談する男子学生たち
呼吸と呼吸の合い間に春らしい風がふいて
となりで黒沢は両手の指を何度も交差させて
自分自身のその動きをじっと見つめてた





しばらく黙っていたけれど
時間がたつにつれて俺もすこしずつ落ち着いた

嫌でもいつも最も近い場所にいるであろう黒沢に
不本意でも知れたことで、一種のあきらめがついた




でもやっぱり、知れるのは黒沢一人で十分だった








「・・・そんな顔すんな黒沢。俺はデビューできたことだけが今は純粋に嬉しいよ。
ただ俺は、走ってるときに横からがんばれだの、ゴールまであとちょっとだの、
そういう声かけられると気が散って走れねぇんだよ。
お前のそのアホみてぇな困った顔で十分。
だから、頼むからこのことは、ほかのメンバーには言わないで。
・・・それだけ」








・・・それだけ


本当に、それだけ、だった

























































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