俺の傷























橋の下のにごった川は
空を映して真っ黒な墨のような色をしている
流れはしずかで、たまに排水溝から流れこむ水が
水面とぶつかりあって
遠くで冷たい音をたてた


こんな東京のど真ん中をながれる
薄汚くて細い川は
川というより側溝と呼ぶほうが近くて
癒しも発見も色気もないままに
いつも冷ややかに、単調に
そこを流れていた







「てつや・・・」






の細い声がふたたび聞こえる


俺はつきだした右手を
の顔を見ないまま、ゆっくりとおろす


あとにはうつむいたままの俺と
きっと悲しい顔をしているであろう
そこにただ、立っているだけだった








「言うな・・・」





俺の声が低く辺りにひびく





ゆっくりと顔をあげると
悲しそうな顔とも困った顔ともとれる
強張った緊張を、顔の筋肉に貼り付けている


沈黙をうめるように
橋の下で下水につながる厚い鉄のフタが
水に押しあげられて重い音をたてる
そのあと逃げそびれた水がごぽごぽと苦しそうにはじけて
やがてまた沈黙が訪れた





「俺、言ったよな。お前がちゃんと自分の道切り開いててうれしかったって」



はこくりとうなづく
そのまま目を伏せた




「お前に事情を説明しろって言って店に誘った日覚えてるか」

「うん」

「あの時、思った。俺はこれ以上お前の過去にも未来にも、現在にもウロついてちゃいけないって・・・」

「そんなこと・・・」

「それにお前に、酒おごった日もあったよな。カツさんの酒」

「覚えてるわ」

「10年前の、約束だけ、どうしても果たしたかったんだ。お前と、カツさんの酒を飲むって」




俺の言葉に、 は一瞬の間のあと、はっとした顔をする

唇をまたかみしめると、せつない顔をして

俺がどんなにつよく見つめても
の瞳はそれをはね返す力で俺を見つめた





















「・・・あの日、もう、会うことはないって、思ったのにな」





みつめられたこっちが切なくなるくらい

の目は、愛しい輝きを放っていた


それは希望の輝きではなくて

頼りない、揺れた悲しみの波紋のようなものだった















俺は耐えられなくなってつぶやく











「・・・だから、俺言ったのに」

「・・・・・・・え?」










俺は一息飲み込んで


はっきりと、あの夜のセリフを繰り返す

























「俺のこと、忘れてくれって」













の表情が一変するのがわかる


あの夜とおなじセリフを再び聞いて
一瞬怯えた目をしたあと
眉間がかなしくゆがんだ





「忘れろなんて・・・簡単に言わないでっ」



大きな声ではないけれど
強い口調で、 は俺に抗議する
その唇は悲しみと怒りに震えてる
彼女は下唇をちいさく噛んだ


しかしおそらく、俺も負けてない




死ぬ気で押し殺してきた気持ちが
すこしずつ、すこしずつ、溢れだしていくがわかる




見えないところで血がにじんでるみたいに
胸が痛い


こんなセリフ、二度と言いたくなんかなかったのに













「わかってる。・・・っていうか・・・
そんな簡単なことじゃねぇなって、あのあとわかったから。
だけど、忘れるのが一番いいんだよ。荒療治だけど、傷の治りは早い。痕も残らない。


「私はてつやとのことを傷だなんて思ってない!」




の気持ちはあの頃となにも、変わってない

彼女のセリフでわかってしまった

そして、そのセリフに共感してしまった俺も






そうなんだ

なんて無茶なことを俺は言ってるんだろう



あの頃、毎日、毎晩のように
心のなかで叫び続けたのに




『忘れるなんてできない。』












が口を開く





「てつや、聞いて。私は昔の自分を癒したくて、今てつやに恋をしてるんじゃないよ。
昔の自分を慰めたくて恋してるんじゃないの。
今の私が、今のてつやを好きになったのよ」


再会してからはじめて
の口から好きという言葉が出た


俺は眩暈のような感覚を覚えた


の視線はつよくて
それに飲まれそうになる














だめだ


は俺とは幸せになれない




普通、トラウマっていうのは傷つけられた方が負うものだけど
俺の場合は確実に、




「泣かせた」

「捨てた」

「傷つけた」








それこそがトラウマになって
もう をこの手に抱くことを
完全に拒絶していた













俺は、弱い










どうして、あんな想いをしたのに


、お前はどうして、


俺なんかをまた好きになれるんだ・・・











































意を決して


俺は口を開いた




今から言おうとするセリフは
いくら俺が年を重ねて汚く器用になったとはいえ
の目を見て言えはしなかった




「ばか言えよ。
お前の親父さんがどんな思いで娘に恨まれてまで俺らを引き離したと思ってんだ。
この世界入って10年、俺ぁよーくわかったよ。
一般人とはつきあえねぇ。
いや、逆だな。こっちはいいけど、絶対お前はイヤになる」





俺はいっきにまくしたてる


わざとあきれたような口調にしてみるが
うまくいったかどうかわからない
唇の端が不自然にけいれんしてしまったかもしれない




こんなひどいことを言って軽蔑されてもかまわない

誰も愛したくない

自分の不器用さや、弱さや、
ふがいなさ、余裕のなさ、不誠実さを目の当たりにするから


10年前のことだけじゃない
あのあとに、色んな人を愛したけど
たいていは傷つけて終わったし、そのたびに
の泣き顔が夢に出た


大事にできないのに無理に手元に置いておくほど
俺はそこまで、男として傲慢になれない

















「わかるだろ?ただでさえお前はこれからアメリカに行って、余裕もなくなるだろし。
こんな仕事してる男とうまくいくわけねぇじゃん」

「・・・・・・・」

「・・・・わかるだろ」













頼む


わかってくれ














「わかったろ。わかったらとっとと彼氏と仲直りしてこいよ」






俺はだめ押しの一言を言いながら

自分の口をひねりつぶしてやりたくなる













ほらな





俺は、こんなふうでしか自分や人を守れない
























話は、ついたかに思われた






















とうとつに、

は持っていたハンドバックのなかを探ると
思いもよらない、ちいさな箱を取り出した

それがなにかぐらい
俺にだってわかる


カツさんの息子が
きっと決死の思いで のために買った
愛の証だ




・・・何やってんだ」




のとった行動をみて
俺はなにが起こるのか即座に想像できたはずなのに
頭で理解できずにぽかんと口をあけて
それを目で追っていた




・・・、やめろよ・・・おい、バカやめろっ・・・!!」







俺がかけよって の腕をつかむのを待たずに

その小さな箱は

寒空のなか、宙を舞い

きれいな孤を描いて、真っ黒な墨のような

川へ落下する













彼女は


完全に


浩二との未来を投げ打った



























































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