いってきます























妻が死んでから
うちのほぼ半分が使わない部屋になった

妻の自室や、趣味の着付けの部屋
ピアノの置かれた洋室など
そのほとんどが空き部屋となり
妻のものはほとんどがその部屋に置かれた

今、ほとんど足を踏み入れていない



だけどその部屋たちの存在は
常に俺の心のどこかにあった
部屋にまだ、彼女がいる気がして
俺はへたに部屋のものを持ち出したりできずに
大切なものを、たまにこっそりと
その部屋に置いたり、しまったりしていた




俺は、掘り起こさないようにしていた

妻の使っていたものや着ていたものや
悲しみもすべて





その悲しみは深い深い闇のようなもので
一度足を踏み入れると
ちょっとやそっとじゃ出てこられない気さえした


自分の心の陰に、怯えていた










ガチャ、、、バタン


店をしめて自室にこもり
一息つきながらぼんやりしていたら
玄関の扉が開いて閉まる音が聞こえた

俺の自室は階段を上りきったところに位置していて
部屋のドアを開けておけば
玄関の物音や声なんかがしっかりと聞こえた

俺は階段をおりてゆく



「おかえり」

「あぁ、いたの」



時計は夜中の2時をさしていた

家にいない方がおかしいだろうが
浩二の「いたの」は、「起きてたの」を意味した





「仕事か」

「あぁ、最後に片付ける仕事がいっぱいでさ」

「・・・本当にやめるのか」

「やめるよ」



浩二は戸棚からグラスを出してきて
冷蔵庫にある牛乳をそそいで飲み干した

牛乳を飲み干す浩二を
俺ははじめて見た気がした

中学のころ、浩二は牛乳が飲めなかった
背が伸びないのを悩んでいたようだが
牛乳は決して飲まなかった



ひんやりした空気の台所で
大の大人の男ふたりが
手持ち無沙汰でぼんやりと突っ立っている

はたから見たら異様で、不自然な雰囲気が
俺たちふたりにはもうここ10年
当たり前になってしまっている


今からでも、まだ
自然と笑って話せるような
”ふつうの親子”に、戻れる余地はあるのだろうか








「あのさ・・・」


そしてこういうとき
いつも先に口を開くのは浩二だ


「俺が大学んときに使ってた机って、どこにあるっけ」

「・・・2階の奥の和室だろう。なんでだ?」

「ちょっと、探したいものがあって」


浩二が空になったグラスを流し台に置くと
ツン、と透き通った冷たい音がする


浩二は2階に上っていったので
俺はもう一度、自室に戻った



























「なぁ」


すこしして呼ばれて振り向くと
浩二が俺の部屋の入り口に立っていた

片手には本を何冊か持っている


「探し物、みつかったのか」

「あぁ・・・あのさ」

「ん?」

「なんで、あの部屋に机いれたの」

「お前が机はもう使わんと言っただろ」

「そうじゃなくて。なんであの部屋なの」

「・・・別に意味はない」

「なんで意味がないんだよ」



浩二はイラだった口調とあきれた顔で去ろうとする

俺はつい椅子から腰を浮かせる



「浩二!」

「親父は冷たすぎるよ!」

「・・・なに?」



浩二は俺に振り返って言う

悲しい目をしている



「意味がないってなんだよ!あるだろ!?
母さんのものに触れたり、思ったりすることに、意味ないってなんなんだよ!」

「そういうつもりで言ったわけじゃ・・・」

「母さんの部屋にいらないもの押し込むなんてどうかしてる」



暗く、ひんやりした廊下で
浩二は俺を見据えて言い放つ

浩二の言葉はどれもナイフのように尖っていて
それは俺を攻撃するためのものでなく
確実に、悲しみを吐き出すためのものだった

それはどんなに敵意を持った攻撃より
冷たく、心に痛く突き刺さる








だが俺は、あの部屋にいらないものを置いたことなど

一度だってなかった


























「お前に渡したいものがある」



俺は唐突に言って
浩二に背をむけて、奥の和室に向かう



「なんだよ」


浩二の呼びかけにも
俺は答えずに廊下を進んだ




部屋は闇に包まれていた
ぼんやりと和箪笥や浩二の机が置かれているのがわかるが
それも暗闇に塗られて真っ黒のかたまりになっている
電気をつけると、蛍光灯の無遠慮な灯りに照らされて
それらは姿を現した


彼女がいるような気がしてたそこは
ただの長年使われていない部屋だった
ほこりっぽい匂いと、箪笥の木の匂い
彼女の名残も香りもなにも
そこにはなかった


俺はこめかみにひんやりと感じる汗に
気づかないふりをして
部屋に入り、箪笥の一番上の引き出しを開ける




「親父、なんだよ」

「待ってろ」




そのかわいた部屋に似合いの
ふたりの男の低い声が響く







引き出しのなかから
俺はある箱を取り出した

それは某スポーツ用品メーカーの箱で
それを見て浩二は怪訝な顔をする

俺は部屋のそとで突っ立っている浩二に
その箱をさしだした




「・・・なに」

「いいから、開けてみろ」




浩二は思いきり不信な顔をして
俺の手から、それを受け取る

はじめはためらっていたが
箱のふたを開けた














「・・・これ」




浩二は驚いた顔をして
俺の顔を見ようとするが
箱の中身に視線をとらわれて
顔をあげられないでいる



「お前が、使ってたのが小さくなってきたって言ってた頃に買ったんだが
渡そうと思ったころには、お前はもう野球をやめてた」

「・・・」

「言い訳がましいかもしれんが、
母さんの部屋には、こういう行き場のないものがたくさんあるんだ」

「行き場の、ないもの」

「いらないものなら、捨ててるさ。机も、それも」








妻が死んでから今までで
最も長くこの部屋にいるかもしれない

いかに俺がいままで
悲しみから逃げていたかがわかる



母親を失ったことで浩二は
無意識にでも、父親である俺とのつながりを求めたに違いないのに
まだ若く、不器用だった浩二の信号を
見落とし続けたのは俺だ

これまでの俺だったら絶対にできなかったが
俺は今、はじめて息子に歩み寄ろうとしている

彼女が死んで、ぽっかりと空いた穴を
俺たちは互いしかいなかったのに
互いの手で埋めることができずにいた


俺が今からでもできることなんて
こんなことくらいしかないのだ











「浩二」

「・・・ん」



まだ浩二はグローブに見入っている



「仕事やめること、反対はしたが間違っちゃいないと思う」

「・・・え」

「お前はまだ若いし、夢もある」



浩二がようやく顔をあげる



「お前ならいい先生になれる」

「・・・知ってたのか。俺が教師になりたいってこと」



俺はつい目を伏せる


実はこのあいだ、浩二宛の郵便で
県の教員試験の受験通知が届いていたから 知っただけなのだ






俺は”あぁ、知ってたさ”と笑ってやりたかったが


「・・・いや、お前に試験の通知きてたから」


情けないけれど白状しておいた
知ったふりをするのは得意じゃない











すると浩二は観念したような
あきれたような
そして、うれしそうな顔で
笑った



浩二の笑顔をひさしぶりに見た気がした



ちゃんと笑っているところなら何度も見ていたが
”息子の”笑顔を見たのは
もしかしたら、ざっと10年ぶりくらいだったかもしれない











「・・・笑うなよ」

「いや、ごめん。つい」

「・・・お前、野球部のコーチなんていいんじゃないか」

「なれたらね」

「ちゃんと練習しとけよ。10年やってないだろ」

「わかってる」



浩二はグローブの入った箱のふたをしめて
わきに抱えて、持っていた本を持ち直す


見ると、その本は
大学時代に使っていた教職員課程のテキストだった


浩二の
こういうなんでもない日々の変化を
俺は今まで見過ごしてきたんだ















「親父」


去りかけた浩二は振り返る


「このグローブは、さすがに小さいからもう入らないけど」

「だろうな」

「また買うからさ、そしたら・・・キャッチボールつきあってよ」

「・・・」

「なに?」

「あ、いや。もちろん」





浩二はニっと笑い
箱と本を自分の部屋におくと
すぐに上着をもって出てくる



「どこか行くのか」

「バッティングセンターいってくる」

「こんな時間にか」

「明日休みだから。バイク借りるよ」

「あぁ」















浩二はかろやかに階段をおりて
玄関の戸を開ける音が
2階にまで聞こえてくる


俺は耳をすませた























「・・・いってきます」












この部屋は玄関の物音が

本当に、よく聞こえる
























































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