かえらない卵























「癒えない、傷?」





私の言葉をくりかえすカツさん

わたしは視線をコーヒーカップに落として頷いた



変に思っただろうか

やってきて矢先にこんなことを聞くなんて

でも聞かずにはいられなかった

この店に、音楽に、今深く、心をえぐられた気がしたから





















「傷はあるけど、癒えない傷はないと思ってるよ。」





すこし考えたあと

カツさんは、きちんと返事をしてくれた





「そう、かな・・・」

「人間癒えない傷なんてない。癒えないと思ってても、いつの間にか何かに癒されてる。」







一瞬、カツさんの瞳にかげりが見えた




そうだ、この人には妻がいない

浩二には、お母さんがいないんだ



最愛の妻を亡くしたこの人の傷を癒したのはなんだったんだろう・・・



自然と一人息子の浩二の顔が浮かぶ













考え込んでいるわたしを見てカツさんは言う



「人間誰だって忘れられない出来事のひとつやふたつあるよな。」

「・・・えぇ。」

「いつまでもひきずってたって前へは進めないから。俺は毎日前向いて歩いてるよ。」





カツさんの笑顔があんまりやさしかったから

私もつい微笑んで

わたしは何年ぶりかに、あの出来事をいつもより少しだけ優しい気持ちで

思うことができた



























初恋は実らない







そう言ったのは誰だったかわからないけど

それは本当だと思う

あんな、幼すぎすぎる恋は実らなくて当然だった

ただ自由を夢見て、憧れて

ふと街で見かけた、空に向かって力一杯歌う彼に恋をした。



生まれたばかりのひな鳥が、はじめて目にしたものを親鳥と思うのと同じ



やりたい事なんてなかった

夢なんかなかった私が、彼に憧れを持つのは

自然なことだった気がする















「カツさん、ありがとう。」





















わたしは、



かえらない卵を、ずっと温めていたのかもしれない・・・













































その卵から、そっと、体を離そうと思えた、その時・・・























































































からん からん・・・















唐突に、店に誰かが入ってきた

































「あれ、まだ空いてなかった?」





















その特徴的な風貌の男に



その聞き覚えのある声に



わたしの心臓は、一拍分停止した



















「おお、テツ。ちょっと早いけど、座れよ。」



カツさんが明るい声を出して

男をカウンターへ促した



「ごめんねカツさん。早く仕事終わってさ、灯りついてたから。」

「おぉ、今外も灯りつけようと思ってたとこだ。気にするな。」

「あ、先客?」



男は薄明かりの中、わたしの方を目を細めて覗く

間接照明からの逆光で、まだ私の顔がよく見えないらしい



「あ、いや。今日から働いてもらうことになったんだ。」

「そなの。バイト?」

「まぁな。」

「名前は?」

だ。」







わたしが答えるより先に、カツさんがすかさず答えると

男は一瞬動きを止めて















もう一度



ゆっくりと





私のほうを向き直る













「・・・?」

「・・・」



よろしくの一言も出ないでいるわたしを見つめて

男はわたしの名をもう一度繰り返す







って・・・」


「なんだ、お前達知り合いか?」









カツさんの一言で

お互いに持った予感が一気に確信へと変わる



てつやの目には、力がこもって

ようやく、わたしの視線とかち合う















「まじかよ・・・」























































































私はあのとき、卵から離れることはできなかった



忘れることは、この卵をかえらせることより難しい















































































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