僕の女神に、愛の詩を





















てつやの声が聞こえる
それは遠くで聞こえる
だけど、はっきりと、耳に届く


「遅れてごめん」


そう言ってかけよるてつや
駅に毎日迎えにきてくれてた頃の
ちょうど、あんな感じで


だけど、それは若いころのてっちゃんじゃなく
現在の彼の姿


胸の奥をつよく、つよくつかまれたまま
わたしはただただ、その愛しいひとに微笑む

そして口を開いて、なにか言いかける途中で














目が覚めた






















そこはお風呂の中だった

・・・やだ、寝ちゃったんだ。

相当疲れているのだろう
湯船につかったままうたた寝するなんて
どれくらいぶりだろうと思って、
わたしはお風呂からあがった


湯に浸かりすぎていたらしく、
体がいつもより火照っていて
パジャマを着て、ぬれた髪をたばねて
お風呂場から出たときに一度だけ
めまいがした








さっきの夢・・・

”遅れてごめん”
そんなに待っていないのに、彼はいつもそう言った
私が寒い冬の風にさらされて
鼻の頭を真っ赤にしてるのを見て、笑った
わたしはその度、はずかしくて怒ったけれど
その笑顔が、愛しいものにむけられる笑顔だと気付けずにいた

今なら、わかるのに




家族もいる、友達もいる、学校があって塾があって、
何不自由ないと思っていたけど、それでも物足りなかった
本当に心が満たされることなんてないと思ってた

あの学祭の日、「毎日、絶対迎えにいくから」と約束してくれた
あの日から、わたしの人生が変わった気がした
はじめて生きる意味を感じた気がした
わたしが、わたしである意味を知った気がした
わたしでなきゃいけない、この人のために。

てつやを失って、また満たされない日々に戻るのがこわかった
わたしがわたしである意味を、見失ってしまうのがこわくて、必死に生きた

なんでもいい わたしが歩いたあとを残したい
見ていてくれる人が、いないから
見守っていてくれた、あの人がいなくなってしまったから
わたしが、わたしを確認できるものが、ほしい

今の仕事は、てつやを失って長く迷い続けたわたしを救ってくれた
わたしにゆく道を照らしてくれた
だからわたしは、仕事に対してだけはせめて、誠実でありたい




てつやは、どうだったんだろう?


わたしと別れても、彼にはグループがあった
自分を奮い立たせる音楽があった
現にそれをここまで成功させている

もしかしたら・・・
わたしがこのままアメリカに行ってしまっても
彼はあの頃みたいに、音楽と仲間に囲まれて
何不自由なく暮らしていけるかもしれない・・・

そうでなきゃ困る














わたしは濡れた髪をタオルで丁寧につつんで
自分の部屋に戻ると電気をつけて
床においたままだったバッグを持ち上げた


時刻は2時少し過ぎ
明日は空港に10時前につけばいいから
起きる時間は・・・




わたしはぶつぶつと考えながら
バッグの中から携帯を取り出した



























「・・・!!」



わたしは開いた携帯を見て目を疑った














「・・・てつや」


ついその名をつぶやく































着信履歴

6/22   1:15

不在着信:てつや



留守番メッセージ  1件























まだ、さっきの夢のつづきを見ているのかもしれないと思った

でも、さっきとはちがって体は風呂上りで火照っているし
髪はぬれているし、ここは私の部屋だし、
携帯にはっきりと映し出された、彼の名前
着信は、もう40分も前だった


わたしは、震える指でボタンを押した


















































『メッセージは、一件です。













 俺です。仕事おつかれさん。

 ・・・なんか、こんなにしつこく女に電話かけんのって学生以来かも。

 当時は当たって砕けろ的なノリでかけてたけどな。

 今は、ちがう。なんつーか、砕けてたまるか的な・・・感じ。







どうして・・・





 俺さ、宣言しちゃったんだよ。1万人の客の前で。

 あの頃の俺に恥じない俺になる。って。

 またそれも、言うのは簡単だけどさ、実際むずかしいわな。






どうして私
泣いてるんだろう





 お前の言った通り、今は気持ちに任せて動くなんてほとんどできなくなってる。

 でも・・・・・・・・・


 そんなんでいいわけねぇんだよ。


 気持ちなくしたら歌なんか歌えねぇよ。


 俺、負けたくねぇよ。あの頃の自分に負けたくなんかねぇよ。








悲痛なてつやの声

泣いたらおしまいなのに

泣いてしまったら

まだこんなに好きだって、気付いて

つらくなるだけなのに・・・







 お前もさ、あの頃の自分に負けたくないってもし思うなら、



 もう一度・・・窓、開けてくれないか」





















ピーーーーー





メッセージは以上です。」


















































着信から40分が経っている


いるわけがない



もう彼は、学生じゃないんだから

わたしより大事なものはたくさんある

こんな住宅地のど真ん中で

真夜中、40分も、たっていられる人じゃない




















でも、




でも、わたしは、もう




あなたがいなくちゃ




息もできない










































ガラッ



























































「よぉ」


「・・・てっちゃん」




てっちゃんは、携帯片手にそこに立って
あの頃よりずっとずっと、大人っぽくなった姿で
高そうなサングラスでその瞳を隠して
なんでもないそぶりで、片手を軽くあげた











「おせぇよ」

「・・・ごめん」

「あと5分待って出てこなかったら帰ろうと思った」

「・・・」






わたしがうつむいて返す言葉をなくしていると
てつやが、すこしして口を開いた






「なんてな」

「・・・え?」

「お前がもし寝ちまっても、俺、アホみたいにここにいたと思う。」

「・・・」

「帰れるわけねぇよ・・・」

「・・・」

「たった40分で諦めるわけねぇだろ。」

「・・・」

「もう、マジでだめかと思った。」

「・・・どうして来てくれたの。」

「あの頃は捨てたのに、ってか?」

「・・・」

「なにも言わなくていいから。聞いてくれる?俺の話」





わたしが少しためらってからうなづくと
てつやは月明かりの下で、やさしくほほえむ








「こうしてさ、月の出てる夜に、好きな女にむかって愛を歌うこと、なんていうか知ってる?」

言われて空を見上げると、今夜は満月だった
わたしは首を振る

「セレナーデっていうんだ。きれいな言葉だろ。俺には似合わねぇけど。」









てつやは、すこし照れたように一度下を向いて
片手で首筋をぽりぽりとかく


そして、うつむいたまま、また口を開いた






















「似合わなくてもいい。酒ぶっかけられて、あきれられて、自分でもあきれてさ、これだけ落ちて、
 俺さ、もうわかんねぇんだわ。」































その時、顔をあげたてつやの頬には


月明かりに照らされた、たしかに輝く


一筋の涙  



























































































「ずっと前に知り合ってたのに、どうして離れていられたのか。

 こんなに好きなのに、どうして今まで抱きしめずにいられたのか。

 同じ東京の空の下にいるってわかってたのに、どうして、迎えにこないで平気でいられたのか。

 どこかで笑っててくれればいいって言い聞かせてきたけど、会ってみたら、無理だった。


 ・・・・・・

 ・・・・・・


 10年間、お前なしで、どうやって生きてこられたのか、

 どうやって立って歩いて、どうやって息してたのかさえ


 俺、もう・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・


 もう、思い出せねぇんだよ。」





























































涙で、てっちゃんの顔が見えない











窓のふちに置いた手の上に
涙がおちる


あつくなった指先
震える唇
涙にぬれた頬


てっちゃんを全身で愛していた、あの頃の
愛しかった自分が帰ってくる

















自分でも自分をわかってあげられなかった

不安定で、不器用で、可哀想なわたしが

自分をはじめて感じられたのは




そうなんだ。


こんなふうに、生まれてはじめて”必要とされた”からだったんだ。
































仕事で必要とされることだって

わたしには充分すぎるほどの喜びだったけれど

移りゆく人の心をどこかで信じていなかった

人の心がひとところにとどまることなどないと思ってた

ましてや私の隣で、生身の人間が、私を愛してる

そして、それが、自分自身も心から愛した人であるという

この上ない奇跡を






わたしは、どうして一瞬でも手放そうなんて思ったんだろう
















































































「・・・てっちゃん。」

「・・・」

「てっちゃん泣かないで。」



わたしたちはなんて不器用で、純粋で、
そしてなんて、愛しいんだろう



「お前がんばりすぎだよ。なんでアメリカなんか行っちゃうんだよ。」

「ごめんね。でも行くの。」

「だろうと思ったよ。」



てっちゃんは笑って、ぐっと自分の濡れた頬をぬぐう

















「ねぇ。」

「なんだよ。」

「さっき電話で言ったこと、本当?」

「なんだっけ?」

「アメリカに、毎週でも、毎日でも会いに来てくれるって。」

「・・・毎日はちょっと。いや、毎週もきつい。」

「うそつき。」

「おい!お前、今言うか?そういうことを!」

「あはは!ごめん。ちょっといじわるしてみた。」

「大目に見てくれよ。必死だったんだから。」

「うん。・・・ね、てっちゃん。」

「ん?」

「長かったね。10年。」

「そうか?」

「ひ、っどぉい」

「はは!そういえば俺らがまともにつきあってたのって、3〜4ヶ月だったよな。」

「うん。」

「あんまり彼氏らしいことしてやれなくて、ごめん。」

「いいよ、そんなの謝らなくて。」

「いや、でも俺、お前のわがままとか聞いてやった記憶なくてさ、結構後悔したんだ。」

「・・・」

「ほら、よくあるじゃん。他の女の子と仲良くしないでとか、ちゃんとおやすみの電話してとか。」

「そんな子供っぽいこと、いわないよ。」

「今はね。あの頃はほら、俺大学生だったし、お前そういう不安はあったんじゃねぇのかなぁと思って。」

「そりゃ、あったことはあったけど・・・」

「そういう当たり前な、お前のわがまま、もっと聞きたかった。それどころか、あんなふうに・・・」

「やだ、その話はもういいよ。」

「けどよ・・・」

「わかった!じゃあ、今からわがまま言うから!」

「今ぁ?そこから飛び降りるから受け止めてとかやめろよ。物理的に無理がある。」

「バカね、そんな怖いことしないわよ。」

「できる範囲でなら、なんなりと。」

「毎日会いに来て。」

「は?」

「毎日、アメリカに会いに来て。」

「だからそれはさっき無理だって・・・」

「毎日、会いに来て。」

「お前、年食ってる分わがままの範疇超えてるぞ。いくら10年分とはいえハードすぎる。手加減して。せめて国内。」

「できないなら、結婚して。」













わたしを見上げるてっちゃんが、一瞬口をあけてぽかんとする













「・・・はい?」

「結婚して。てっちゃん。」

「今?」

「わたし、2年か3年で帰ってくるから。結婚して。」

「本気?」

「・・・本気。」

「・・・」

「私、10年前、別れたとき、"迎えにくるから”って言ってもらえなかったのが、何より悲しかった。
 離れたって平気。会えなくても平気だよ。ただ、約束がほしいの。」







わたしの言葉に、てっちゃんははじめて真剣な顔つきになって
すこしだけ、考えるように口を閉じる



























「まだ、わがままの範疇超えてる?」

「・・・」

「こんな約束、できない?」




















そしててっちゃんは

ゆっくり顔をあげた

























































「そんなもんでお前が、俺も仕事も愛せるのなら、喜んで。」









































は、あの日のように窓から俺を見下ろして
月灯りは、彼女の顔を照らして
彼女の涙を輝かせた





彼女がいてくれてよかった
彼女を愛せてよかった


こんなに切なくも痛々しい、たしかな気持ちがなければ
歌なんか歌えるわけないんだ






君を泣かせたこと、君を笑わせたこと、
君を傷つけたこと、君にもう一度出会えたこと、
君をこうして、迎えに来たこと
すべてが俺の未来につながっていく




彼女は女神だった









































彼女は、女神だった

























































    FIN.










あとがき



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photo by <月世界への招待>
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