crazy for you. 〜僕等は狂気を知った〜








Q.気が狂うほど、人を好きになったことがある?

A.YES,







はじめて手を握ったのは
俺が決死の思いで誘った夏祭りで
人ごみに消えそうな彼女の手を
見失わないように、消えないように
俺はすこし強引に引き寄せた

握ったその手に反応はなく
彼女は表情をかえずに
おとなしく俺のあとをついてきた

密着した手と手の間の体温は
リアルに上昇していったけど
それがすべて俺のものであると気付いてた
彼女は死人のように反応がなかった
俺はそのことが悲しくて、むなしくて
泣き出しそうな気持ちになって
それが情けなくて、くやしくて
なにより彼女がどうしてそんなに頑なで
そしてそんな彼女を何故こんなに好きなのか、と
結局そこに帰ってきてしまって
彼女の手をより強く握った


ふたりの手の平は
むなしく湿っていた






「村上くん、おはよう」

夏祭りから一週間ほどたった日の朝
駅から大学までの道で彼女に会った
夏祭りにまで一緒に行っておきながら
実は彼女のほうから話しかけられたのは
それがはじめてだったからよく覚えてる
舞い上がりそうな気持ちが顔に出ないよう
踏ん張ると、こめかみに汗をかいた

大学につくまでの道のり
彼女の横顔を見たくても見られなくて
俺の首は真正面を向いたまま固まっていた
彼女もずっと正面を向いていたけど
俺とちがってそれは彼女の意志だとわかってた

俺がしゃべったことと言えば
「暑いな」とか「昨日何時に寝たんだ」とか
「俺は昨日飲みすぎて気持ち悪い」とか、
くだらないことばかりで
彼女はゆったりした笑みを浮かべて頷いていた






彼女は校内でもたいてい一人だった
中庭で読書をしていたり、
カフェで休憩していたり、
図書館で調べ物をしていたり、
彼女の生活リズムは乱れることなく
いつも頑固に規則的だった

授業も一人で
俺は何度か偶然を装って隣の席に座ったが
ここ、いい?と聞いたときに一瞬目が合うだけで
あとは黙々とノートをとっていた
透明色のペンケースにピンクのシャープペンシル
消しゴム、赤ペン、青ペン
真っ白なノートには、彼女のこぶりで綺麗な文字が並んでた

「字、キレイだな」
と声をかけると、彼女は
「ありがとう」
とだけ言って微笑んだ

彼女は美人で目立っていたが
いつも一人で行動していたので近寄りがたく
こんなふうに堂々と声をかけたり
隣に座ったりする奴は、俺ぐらいだった






もう少しやさしい「ありがとう」を聞けたのは
その日のさらに約2週間後
授業が終わって(その授業でも俺は彼女の隣を陣取った)
彼女と肩を並べて教室を出ると
彼女は購買へ行くと言ったので一緒に行った
そこで彼女はノートを買って
会計のころに彼女の手が止まる

「すみません、細かいのがないので。」

と店員に謝って一万円札を出しかける彼女に
俺は思わず、あるよ、俺。とすかさず150円を会計台に置いた
ぎょっとして大きな目を見開く彼女は、いいのよ、やめて。と
とこっちがちょっと落ち込むほど遠慮したけど
俺は押し切った

翌日、彼女は先に教室に来ていた俺の隣に来て
黙って座ると(その時のうれしさといったらなかった)
財布からそっと150円を出して机の上に置き
「昨日は、どうもありがとう。」と微笑んだ
いいのに、150円くらい。と俺がニヤけるのを抑えて言うと
せっかくお札崩してきたんだもの、もらって。とまた笑った
俺は、じゃあ遠慮なく。と言ってそれをポケットに突っ込んだが
その150円を、財布の中に混ぜずに使わずにとっておいた

「テツ、ごめん100円玉ない?足りないんだけど。」

昼時に先輩に聞かれたが俺は「ないっす」と即答した






ある日、学校のそばの本屋で彼女に会った
学校以外で会うのは夏祭り以来だったが
学校以外で”偶然”会ったのははじめてだった
彼女は古典文学に夢中になっていた

「吉永さん」

彼女はびくりと振り返り
俺だとわかると一瞬ホっとした顔をして
そのあとは複雑な表情をうかべた
こんなによそよそしいなんて、
ふたりで夏祭りにいった日が夢だったのではないかと
つい思って、さみしくなる
まぁもともとあれだって俺が無理に誘ったんだし
彼女はあの日も今日と変わらぬ表情だった

「その本、俺持ってるよ。貸そうか。」
彼女の表情をすこしでも和らげたくて
彼女が手に持っている本を指差す
「・・・本当?」
警戒した表情は変わらないが
彼女は一応、俺が絞りだした話題に乗ってくれた
その日は俺に用事があると言って
後日、貸す約束をした

本当は用事なんてなかった
本当にその本を持っていたなら
俺は逆にどんな用事があろうとも
すぐに彼女を部屋に誘っていただろう
彼女と別れたあと、本屋に引き返してそれを買った
その本は古くて分厚くて、値段は5000円だった
俺は財布から5000円札を抜き取りながら

「病気だな」
と思った






彼女は常に警戒した目をしていたが
夏祭りのときと同様、誘えば律儀に
約束の時間に、約束の場所に現れた

決して時間に遅れてなどいないのに
(俺がはりきって早く来すぎただけで)
必ず「お待たせ」と静かな声で言った

その規則的な行動も
彼女の感情を隠すのに一役買っていた
例えば、俺より早く待ち合わせ場所に現れたり
逆に遅れてきたり、最初から誘いを断ったりされれば
(それがNO、つまり拒否を意味していても)
それは紛れもなく彼女が出した答えであって、
俺はいくらか安心できたことだろう

せっかく彼女が約束の場所に現れたのに
俺はNOすら言ってもらえない存在なのか、と
矛盾だらけの不満をかかえて
「いこうか」と、彼女の前を歩き出した
不安だらけだった






本を貸す約束で彼女は部屋へやってきて
その日、俺は彼女を抱いた
いきさつはシンプルだった

「この本、本当はあの日、買ったんでしょう?」

と、見透かした瞳で彼女が言った
俺はその一言で、身ぐるみはがされた気分になった
俺の下心も、病的な執着も、得体の知れないこの気持ちも、
手に負えない感情もすべて彼女は気付いてた
観念した瞬間から、そのあとのことはよく覚えていない
彼女を知ろうと、必死になった

彼女は、抗わなかった

彼女とつながったとき、涙が出た
それを見られないよう、こぼれないよう隠した
彼女がかすかにもらす声や
俺の腕やシーツをつかむ弱い力が
これまで感じたことがないほど愛しかった

宝石だ、と思った
彼女は宝石だった
俺自身が汚く見えた
いや、彼女以外の人間が汚く見えた






目が覚めたとき、彼女は服を着て帰り支度をしていた

「ごめん。」

なぜだか無性に心細くなって
なにを意味するのかわからないまま謝ったが
彼女は、表情をかえずに首を横に振っただけだった

彼女を抱いても、彼女を知ることなんてできなかった

むしろもっと深い闇に吸い込まれて
そのまま出口がわからなくなって
来た道を引き返すことすらできなくなっていた

彼女は帰り支度を整えて、化粧を少し直して
「本、ありがとう。」と言って俺を見据えた
何も言えずにいる俺をじっと見つめていたかと思えば
ふと寂しげに目を伏せ、何も言わずに帰っていった
彼女はその日最後まで、いつもの微笑みを見せなかった
ようやく見ることができた彼女の本当の顔は
紛れもなく、傷ついた顔だった

俺は玄関まで見送ることもできずに
ベッドの中でひざを抱えていた
どうしたらいいのかわからなかった
こんなことをして、彼女が微笑んでくれるはずがなかったのに






翌日、学校で会った彼女は普段通りだった
俺が思い切って挨拶をすると、いつもの完璧な微笑みで
「おはよう」と返してくれたのだ
俺は余計に彼女に突き放された気分になる
いつもと変わらぬ微笑みなのに軽蔑されている気分だ
それは明らかに俺の中で
前日に彼女にしたことへのうしろめたさと
後悔があるからだと気付いてた
彼女はその日、淡い桜色のワンピースを着ていた
それは黒く長い髪によく似合っていて
俺は、きっと、いつの時代に生まれていつ彼女と出会っても
彼女に恋をしただろうと確信する

「話がある」

彼女の隣に座った哲学の授業で、
俺はノートの隅にそう書いて彼女に見せた
彼女が横目でそれを見ると、小さな唇がかすかに開く
白い歯がちらりと見えて、俺は不覚にもドキリとする
俺は続けてこう書いた

「今日の授業が終わったら駅前の公園で待ってる」

今思えば、悪あがきにしか見えない
してしまったことは消せないのに
俺の陳腐な言葉で伝えて、彼女の傷を消せると
俺の強い想いで押し切れると本気で思っていた












「来ねぇな・・・」

陽は傾いて、茜色が公園を埋め尽くす
遊んでいた子供は迎えに来た親と共に消え
静まり返った公園はもの寂しいオブジェのように
夕日に照らされて佇んでいる

「来ねぇな。こりゃ・・・」

俺はもう一度つぶやくが
腰かけていたタイヤの遊具から立ち上がることができない
そういえば、ノートに書きなぐって見せただけで
彼女は来るとは言っていないし、頷いてもいないし
以前のふたりの関係ならばきっと
彼女は律儀に約束した場所へやってきただろうが
今、彼女がここに来る保障はもうどこにもない

関係を急いで、焦った俺は
ふたりの前にひろがっていたはずの可能性や
色んな道や、選択をすべて踏み越えて
彼女の選択肢をひとつに絞ってしまった

踏むべき順序を踏まなかった
彼女を知りたければ、まずは瞳を見つめるべきだった
手に触れて、心に触れて、話をするべきだった
はじめから俺の一人相撲で、彼女の庭を土足で踏み荒らした
そこにはどんな華が咲いていて、それがどれほど美しいか
確かめないまま






気付いたら、陽はすっかり沈んでいた
近所の家々にはあかりが灯り
部活帰りの高校生が自転車で通りすぎてゆく
俺は、辺りが暗くなるにつれて
心の中でなにか熱いものが沸々とわいてくるのを感じた
俺は戦うように、暗闇のなか
薄暗い街灯だけを頼りに、公園の入り口をにらむ

彼女が来るまで、俺は待ってみせる
雨が降っても雷が鳴っても
朝になっても、また夜がきても
腹が減ってものどが渇いても
それであの日の過ちが消せるなら
そんなことで、彼女が微笑んでくれるなら






本当に、病気だったとしか思えないが
俺はその日、結局朝の6時まで彼女を待っていた
昨晩に通りかかった学校帰りの高校生が
一晩中遊具に座っていたらしい不審な男を
化け物でも見るような目で見てきたので
通報でもされたらシャレにならないと思い
俺はそこから立ち上がったのだ

彼女が来る保障なんて本当ははじめからなかった
それなのに、俺はなにかにとりつかれたようにそこに座っていた
単に諦めたくなかったのだと思う
はじめから俺の気持ちだけで繋がっていたような関係
物理的なつながりや接点はなにもなく、
俺が手は離せば消えてしまう
俺が目を離せば見失ってしまう
本当は、彼女が来なければそれでおしまいなのに
俺が待つことでこの先が繋がっていく気がしてた
彼女を待つ、俺でいたかった


しかし彼女は来なかった







その日は俺はまっすぐ自分の部屋に帰って眠り
(もしかしたら部屋の前で彼女が待っているかもという
甘えた期待はあっさり裏切られた)
その翌日、俺は何事もなかったように学校に行った
彼女と会ったら、いつもどおり挨拶をしようと思った
彼女もきっと、きちんと挨拶を返してくれると思った
これからも毎日学校で会え
まだ、俺の目が彼女を捕えて離さない限り
俺たちふたりの前には無限の可能性が広がっているはずだ

彼女に、学校で会える
それだけを頼りに、俺は一昨日の出来事を忘れようとさえ思えた



「あ、てっさんおはよう。」

校内でまず話しかけてきたのはサークルの後輩の佐々木だった
茶髪に白縁のめがね(それがとても目立つ)をかけた
声が異様に高いうえによくしゃべる男だ
なぜか俺のことをてっさんと呼ぶ

「おす。」
「俺、昨日すごいもの見ちゃいましたよ。」
「なに?」
「救急車入ってきてさ。学校に。」
「マジ?」
「女の子が運ばれてったんだよ。」
「なんで?怪我?」
「いや、それがさ・・・」

佐々木は、辺りを見回すと声をひそめる
俺もつい腰をかがめて佐々木のそばに耳を寄せる

「どうやら妊娠してたらしくて、ぶっ倒れて大出血。」
「はぁ?マジで?」
「それが誰だと思う!?」
「知ってる奴かよ?」
「そう。よく授業一緒になる子で、美人の、名前なんだっけ・・・
あ、吉永さん!あの美人がね〜、いやなんか他の女とちがうなぁとは思って
たけどさ、俺ショックだったよ・・・って、あれ?てっさん?」


佐々木が足をとめた俺を振り返る


「・・・うそだろ?」
「いやマジっすよ!俺この目で見たもん。
みんなも見てたよ。授業終わってすぐでさ、人混みん中で倒れたから。
岡田とか、安岡も見たんじゃねぇかな。もう大騒ぎでさ。」
「・・・」
「そういえば、てっさん何度かあの子の隣の席に座ってたよね。
なんか聞いてなかったのー?彼氏のこととか。」
「・・・いや、彼氏は、いないって。」


聞いてない
聞いてないぞ
彼女が、妊娠してたなんて・・・


「じゃああの噂はほんとかなぁ・・・。」
佐々木がぼそりとつぶやくのを
俺は放心した頭でも聞き逃さない

「噂?」
「あぁ、なんか彼女が10以上も年上の男追っかけてるって話。 知らない?」
「知らねぇよ。なんだよそれ?!」
「知らないの?みんな言ってるよ。」

俺は彼女を遠巻きに見て、あれこれ噂をしてる奴らが大嫌いで
そういう噂話には一切耳を貸さなかったのだ

「11か、12かな。わかんねぇけど一回りも年上のおっさんに惚れちゃって。」
「吉永が?」
「まぁおっさんも仕事してっから時間的にもかなり振り回してて。」
「吉永を?」
「でも彼女はかなり献身的に尽くしてたみたいだぜ。
おっさんが呼び出しゃいつでも飛んでくるから、もう好き放題?
ほら、あの子家近いのに一人暮らしはじめたろ。それもその為らしいし。」
「吉永が?」
「だけど、最近おっさんが急に職場に彼女作って、ついでに婚約しちまったんだと。」
「・・・は?」
「つきあってたわけじゃないからって、彼女は責めなかったらしい。
それをいいことにおっさんは彼女を急に邪険に扱って、挙句の果てに
『もうつきまとわないでくれ』ってメール一本。ひどいよな?」
「・・・」
「俺が聞いた噂はそこまで。俺も最初半信半疑だったけどさ、
おっさんってのが大手自動車販売店の営業マンらしくて、
そこで客にお茶出しのバイトしてる女が、実は友達にいるんだよね。
そいつが言ってたから、まぁ信憑性はあるなと思ったよ。」
「・・・」
「よく、店の前でおっさんを待ってる彼女を見かけたらしいし。」
「・・・・・・・・・吉永が?」
「うん。けどまさか妊娠してたなんて、さすがに知らなかったけど・・・」
「なんで妊娠ってわかるんだよ?出血してただけだろ?」
「彼女が言ったんだよ。運ばれるとき。」
「え・・・」
「救急隊員に『妊娠してる 子供は助けてほしい』って。
ぶっ倒れるほどの痛みだったはずなのに、救急隊員の腕をこう、掴んでさ。
涙ためて、すがるような目でさ。目そむけてた女の子もいたよ。」
「・・・」
「俺思うけどさ、確かにそのおっさんはひどいけどさ、
彼女の尽くし方も病的だったと思うぜ?惚れた弱味ってやつなのかな・・・
俺にはわかんないね。それだけ振り回されても、まだそいつの子供産みたいなんてさ。」














気が遠くなるような気分の中
俺はなんとか会話をつないで佐々木と別れた

全身の血の気が引いていく
足元がひんやりして、こめかみに冷たい汗をかく
急激に体温が下がっていくのを感じた
足を前に出して、なんとか歩いてはいるが
どこに向かっているのかもどうでもよくなっていた

そういえば、彼女はワンピースばかり着ていたが
おなかが目立ってくるのを隠していたのかと
そんなことだけ、冷静に考えていた




















噂というのはときに薄情で、ときに悪戯をする
なぜか俺の耳に彼女の居場所がつたわってきた
都内だがかなり離れた場所の病院だった
行くしかないと思った
あんな話を聞いたあとだというのに、
彼女が、俺を待っている気さえした


「そういったお名前の患者さんはいらっしゃいません。」

だが、受付に座る事務員はあっさりと答えた

「いない?」
「えぇ、入院患者さんにはおられません。」
「本当に?ここにいるって聞いたんですけど。」
「そう言われましても・・・」

困った顔をして、もう一度ファイルを開いて確認する事務員
すると俺の口から信じられない言葉が飛び出す

「いないんじゃなくて、面会謝絶とか?」
「はい?」

彼女は今度こそ怪訝な顔をする

「それならそれでいいんです。無理に会わせろとは言わない。
ここにいるなら、いるって、言ってほしいんだ。」
「ですが、本当に・・・」
「もしかして退院したかもしれない。最近退院した人のなかにいませんか?
吉永って女の子で、すげぇ美人で・・・髪が長くて・・・」

そのときふいに、夏祭りの日の彼女を思い出す
真っ黒の髪をうしろに束ねて
水色のきれいなワンピースを着てた
あの日俺がなにをすすめても、彼女は何も食べなかった
あのときも、彼女のおなかには・・・



くそ!

どうして彼女が、こんな思いをしなくちゃならない・・・?
どうして俺が、こんなことを・・・



「退院した患者さんのお名前はお教えできません。」
「なんで!!?」


俺の声に、受付にいるほかのスタッフや
待合の患者たちが注目する


「お引取りください。」
「元気になってればそれでいいんだ。それが、知りたいんだ・・・」
「他の患者さんに迷惑ですので。」
「頼むよ、マジで。知りたいんだ。なんでもいい。」
「申し訳ありませんが。」
「なんでもいいんだ。彼女のこと、知りたいんだ・・・」







彼女のこと、知りたかっただけなんだ


授業中に盗み見た彼女の持ち物を
ひとつひとつ、大切に思い出す
透明色のペンケースにピンクのシャープペンシル
消しゴム、赤ペン、青ペン

彼女はもっともっと、大切なものを
あの小さな体の中に抱えていたのに
その体に俺は、どうしてあんなことしかできなかったんだろう
最後に会ったときの彼女の悲しそうな顔

なんでもいいから知りたかった
退院したなら、したでいい
子供が無事かどうかなんて、正直考えられなかった
彼女の体がせめてそれとわからぬほどに
回復したならば、俺はもうそれだけでよかった






















彼女は、その2週間後大学をやめた

結局子供は流産したらしい

部屋にいったがもぬけの空だった

相手の男には、不思議と嫉妬心がわかなかった

怒りがなかったといえば嘘になるが

男のことをなにもかも知らないためか

漠然とした呆れというか、同じ男としての軽蔑しか感じなかった

それと同時に、自分への嫌悪感も募らせた

結局、俺が彼女にしたことといえば

その男が彼女にしたことと、なんら変わりがない

そこに気持ちがあったって、愛があったって

やってることは紙一重

「凶器だ」と思った

男は凶器だ





だけど

彼女と、俺に、はじめて共通点を見つけた

彼女も、俺と同じで、誰かに狂っていたんだ

彼女も、俺と同じで、病的に誰かに執着し

身を削ってその男のために女を生きた

あの夜、俺が真夜中の公園で感じたあの熱い思いを

彼女はずっと、ずっと抱えてきた

それだけはなぜか、俺は報われた気持ちになった

それによって彼女はこんなにも傷ついたのに

それでも俺は、彼女のことをやっとひとつ知ることができたと思った









あれから10年以上経ったが

彼女への、狂い出しそうな熱い思いは

今すぐにでも、鮮明に思い出せる

でもきっと、今の俺が彼女に会っても、もう恋はできないだろう



俺は彼女にとって、凶器になってしまったし

燃え盛る、狂うほどの恋は

自己犠牲が愛する手段だと思い込んで

自分を見失っては醜く足掻き

ゆきすぎた感情はいつしか相手をも追い越して

孤独に迷い込んでしまうから



あの日、もし彼女が倒れていなかったとしても

約束の場所にはきっと来なかったろうと思う

彼女は”狂気”を知っていたから

人に狂うと、愛に狂うと、どうなるか

俺の狂気を、自分自身に重ねたはずだから

だから彼女は、俺に抱かれた日

あんなに悲しそうな顔をしたのだ



今ならわかる

俺も彼女も、自分を傷つけなければ

それが狂気だと気づけなかった

それに気づくには若すぎたかもしれないが

それでも今俺がしあわせになれたように

彼女もどこかでしあわせになっていることを祈って
























なんでこんなものができたのかわからない。
どのキャラクターに感情移入しながら書いたのかも正直わからない。
たぶん、彼も、彼女もわたしの中にいる気持ちから生まれたんだろう。
この異様な展開や設定が、なぜかこじつけのフィクションじゃなく、
こんなことがもしかしたらわたしの身に起こっていてもおかしくなかったと、
おそろしいことを考えながら、限りなくリアルな世界で書いた。

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