もう二度と
大きな声では言えないけれど
俺は、以前すこしだけ、ファンの子とつきあってたことがある
デビュー2年目くらいのころから手紙をくれてた子で
当時は俺も、ファンレターに律儀に返事を書いていたから
その子が同じ年で、好きな音楽が同じで、父親がいなくて
母と姉と暮らし、犬を飼っていることくらいは知っていた
あるとき、街で知らない女の子に話しかけられ
それが手紙の子だと知ったときには驚いた
彼女はひかえめにだったが、俺の携帯番号を知りたいと言い
もう何度も手紙をやりとりした仲だし、
という軽い気持ちから、番号を交換したのがはじまりだった
だけど今思えば、好きなアーティストに街で会って
すぐに電話番号を聞けるなんて
ものすごい度胸だな、と思ったりする
そして、今、もっと考えると
計画的なにおいがしないでもない、とすら思う
俺たちは、3ヶ月で別れてしまった
理由は、彼女の束縛だった
世界がちがう、何を考えてるのかわからない、本当に仕事なの?
はやく帰ってきて、もっと会いたい、時間がほしい、ここにいて、ここにいて、
どこにも行かないで・・・
こわい、とは思わなかった
ただ、彼女を「こわい」なんて思う前に別れようと思ったのは事実だが
それも無駄な気遣いだった
なぜなら、彼女と別れた次の日から数ヶ月間、
俺の携帯には、非通知着信が鳴り続けたのだ
次第に減っていき、今ではもう無いが
充分こわかった
もう数年前の話だから、そんなこともあったなぁと
数ヶ月に一回思いかえすくらいだけど
今でも非通知着信が鳴ると、すこし身構えてしまって
出られないのが事実だ
「非通知 着信」 と表示されるとつい考えてしまう
匿名にしてまで俺に直接伝えたいことなんて
いまさら恨み言以外に、なにがあるというんだ?
彼女はどうしているだろう?
彼女は当時、俺が住んでいた街に住んでいた
それも、今思えば俺を追って引っ越してきたと思えなくもない
だって彼女は一人暮らしをしていたけど
彼女の家から、彼女の職場までは不自然に距離があったからだ
地下鉄にのって4駅、さらにバスまで乗りついでいた
彼女はちいさな保険会社に勤めていた
となりにはオープンカフェがあって、(そこのエスプレッソが大好きだ)
その通りは夏がおわると街路樹がいっせいに紅く染まって
風がふくとかわいた音がした
俺はそこに車を停めて、彼女を待つのが好きだった
なぜそんなことをあれこれと思い出しているのかというと
今、たまたま車でその並木通りを走っているからだ
もう、断片的にしか思い出せないあのころ
たしかあれは、冬だった
「・・・・・・」
俺は、カフェのエスプレッソの味をほんのり思い出す
今日は暑い日だけど、悪くない
たしかハニートーストも絶品だったな
俺はつい、車を停めてカフェに入った
吸い寄せられるように・・・
非通知着信のせいで、「こわい」思い出になりかけているが
もちろん、彼女のことはとても好きだった
いつもひかえめで自信なさげなくせに、
俺たち(ゴスペラーズ)の魅力を力説するときは
はきはきと真っ直ぐに意見するところは頼もしかったし
えくぼに小さい口元がかわいらしかったし、
何より、人の痛みのわかる子だった
父親をはやくに亡くして、さみしがりやなところを
必死に隠すクセもあったりして、ほっとけなかった・・・
不思議だ
俺はちいさなカップで飲むエスプレッソを
じっと見つめながら思う
不思議だ
あんなにこわい、と思ったまま忘れた彼女でも
きちんと好きだったところは思い出せるもんだな・・・
このエスプレッソの味が、
いつまでも変わらないでいてほしいと思うのと同じように
彼女のやさしさも、どうか変わらないで・・・
「!」
顔をあげると、彼女がいた
仕事から帰るところだろうか
ベージュのバッグを肩にさげて
携帯で話をしている格好のままで、
窓ごしに、俺に気づいて呆然としている
彼女の事務所はこの店のすぐ隣だ
出くわしてもおかしくなかったのに
なぜ俺はここに入ったのだろう
俺もとっさに反応できずに見つめあい
彼女は電話の相手になにか言われたのか
とっさに目をそらして、会話に戻る
そして、そっと俺を見直して、頭をさげた
まるでほんの少しだけ顔見知りにでもするような
他人行儀で、事務的なやりかたで
彼女は、そのまま電話にもどり
足早に姿を消した
直前まで、彼女とのたのしかったころを思い返していただけに
その彼女の態度では
俺のほうがふられた格好になる
それも、いいかな、と思う
束縛とは相手を憎くてそれをする人間はまずいない
愛して、愛して、愛すれば
「わたしがこんなにも愛する人を、他の女が愛さないわけがない」となる
束縛とは、曰く愛情と隣り合わせであり
束縛とは、曰く愛情が勢いよくかけ上っている証拠であり
束縛とは、曰く不満の暴発だと・・・
つまり、そういうことだろうから
今俺が負けてやる必要もあるのだ
そのまままっすぐ家に帰っても、飯をたべても
風呂に入ってテレビを見ても、
俺の頭の中から彼女が消えることはなかった
さっきの彼女のそっけなさと、
目があったときの少しの動揺とで
”ぼくたちは、きちんとつきあっていた恋人同士なのだ”と
なぜか今更ながら気づいて
今まで勝手に頭のなかで決め付けてきた、彼女への概念が
ゆるく、時間をかけて解き放たれていくようだった
彼女へのイメージがだいぶやわらかくなっているのは、
きっと俺自身が変わったせいもあるのだろう
あのころの彼女の痛みが
今ならほんの少し・・・わかる気もする
もう何年も前の話だ
今更、ふたりの時間が動くことはまずありえない
未練じゃない、
後悔なんて1ミリもありゃしない
あれはあれで、終わったことなのだから
まぁ、非通知電話はこわかったけどさ・・・
・・・
RRRRRRRR
突然、テーブルの上で携帯がけたたましく鳴った
俺は思考を一時中断して、携帯を手にとる
『 非通知 着信 』
時計を見る
俺は相手が誰か、すぐにわかった
不思議とこわくなどなかった
むしろ、今気づいてあげなければ
僕らが繋がっていた恋人同士だったころの思い出までが
うそになってしまう気がして
どうしてもっと早く、
この電話に出てあげなかったんだろう
一度でよかったのに
不思議と吸い寄せられるように、通話ボタンを押した
RRR...
「もしもし・・・」
電話に出たことに
少しおどろいて、そして戸惑っているような間のあと
”彼女”は、つぶやいた
「誕生日、おめでとう」
時計は、0:01をさしていた
その後、もう二度と
”彼女”からの”非通知着信”は鳴らなかった
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