第 二 話












ジャスミンと、サラと朝食をとるときは

必ずジャスミンの家にお邪魔することになっている



わたしの部屋にはテーブルに背のたかいイスしかなく

2歳のサラはそこで食事ができないからだ



もともとわたしの部屋は、食卓には向いていない







「 おはよう、サラ」

「 グモーニン、ナオ」





まだたどたどしい言葉で、サラは挨拶をする

大きな瞳で、まっしろの歯を見せるサラは本当にかわいい





「 ジャスミン、オレンジを持ってきたわ」

「 ありがとう」



ジャスミンの家で朝食をいただく日は

わたしが何かしら食後のフルーツを用意するのが習慣だ



その日の朝食は、ワッフルとトマトサラダ

ワッフルは彼女が焼いた











「 来週から、しばらく実家に帰るの」

ジャスミンが口を開いた



「 ユタの方へ?」

「 そう。両親も、サラに会いたがっているし」

「 仕事は大丈夫?」

「 えぇ」





ジャスミンの仕事は、昼間介護施設の手伝いをしていて

夜、サラを預けられる日だけ近所のダイニングバーで歌を歌っている



ジャスミンがしばらく不在となると、わたしの夏休みはいよいよ予定が空っぽになってしまう

わたしはワッフルをかじりながらしばし考える







「 ナオ、家には帰らないの?」

「 ・・・」

「 日本に帰れば、彼にも会えるし」

「 ・・・」

「 仕事のお休みは、決まっているの?」

「 明日、スケジュールを出すことになっているの」



明日で、7月も終わる







「今年は帰りなさいよ。帰らない理由がないわ」







きっぱりとした口調で、ジャスミンが言う

わたしはうなづく他なかった

























「3日間ね」






わたしの提出した休日のスケジュールを、デスクに静かに置いた

藤井さんは、タバコに火をつける






「もっと休んでもいいのに。体も休まらないぞ」

「去年とは反対のことを言うのね」

「状況がちがうから。好きに仕事ができるほどの予算も与えられていないし」





藤井さんのしずかなもののしゃべり方が私は好きだ

返事や結論を急いだりしない

ひとの話を、きちんと最後まで聞ける人だ

仕事ができるのに、こんなに落ち着いた物腰の人は珍しい

正直、変わった人ではあるが、信用できる



唯一、彼に欠点があるとすれば

仕事のためには何者も顧みないことだ

ほんとうに、なにものも





「5日間休みなさい」

「命令ですか?」

「命令、にしとくか。お前は困った部下だから」

「藤井さんは?」





わたしの質問と、返事の間に

彼はタバコの煙をひといきで吐き出す





「昼食はとった?」

「まだです」

「じゃあ外で食べよう”業務報告”もあるし」






彼はたちあがって、テーブルの上の革財布を持った



















藤井さんがわたしを会社の外に連れ出すときは

仕事以外の話をすることがままある



わたしは藤井さんのアシスタント(秘書のようなものだ)として同行したが

慣れない土地で、互いしか話し相手がおらず

はじめのうちは毎日一緒にランチをとっていた

そのうちに、彼も外回りの仕事が増え

その習慣も減っていったものの

たまにこうして、互いの近況報告をするためにランチをするのだ



おそらく、日本で机をならべて仕事をしていても

ここまでラフにはつきあえていなかったはずだ

おたがいに、「雰囲気にのまれたな」と、笑いあったことを思い出す

単純に、すごく仲良しになっていた



















「結論からいえば、佐藤、お前日本に帰る気ないか」





コーラをストローで吸いながら藤井さんは言うと

巨大なハンバーガーにかぶりついた

彼は案外、偏食だ

そして、食いっぷりがすこぶるいい



わたし達は若者の多い、昼間のオープンカフェにいた







「・・・それは、夏休みの話?」

「ちがう。帰国だ」





わたしは理解ができずに藤井さんを見つめる





「にぶいな。本社から通達がきたんだよ。

海外事業の予算が大幅に削減された。ま、このご時勢だしな」

「強制送還?!」

「強制じゃない。よかったな」

「あの、理解できないんですけど、ちゃんと説明してください」





私の動揺した様子に、藤井さんは整った口元を

ゆがめてくすりと笑う

美形な人は、皮肉な笑みすら様になる





「強制じゃないのは部長の口添えのおかげだ。佐藤は業績がいいからな」













つまり、予算削減により、

3年の予定だった私のアメリカ転勤が

今期にて終了するかもしれないということと

(まだこちらにきて2年だ)

幸い我がチームの業績がいいために、私の意志に委ねられたのだ



そんな良心的な会社も、なかなかないだろう

のびのび仕事ができるところが

海外事業部のウリなのだ



どちらにしろ、こんなのどかな昼下がりに突然

私にふたつの大きな選択肢ができたということになる













「部長の口添え…とはいえ、元は藤井さんの査定のおかげ、ですよね」

「んなことはどうでもいい」









そう、上司である藤井さんが

私の活躍を逐一本社へ報告してくれていなければ

強制送還されていてもおかしくなかった



持つべきものは良き上司だ









でも、そんな感謝の言葉も藤井さんは

右から左へ受け流すような顔をする





「考えさせてください」

「まぁ、すぐそんなこと決められんわな」

「はい」

「いいよ。来月中な」









突然の通告に動揺しつつも、うなづいておく

どの業界もこの不景気には打撃をうけている



なんらかの影響はあると覚悟していたし

もっとひどい打撃をうける人はいる



なんとなく、話題を切り替えようと思った

自分の心の動きを悟らせないようにするクセは

いまだ直らない









「藤井さんはいつ帰るの?」

「ん?帰らんよ」





ハンバーガーにいまだ夢中になりながら

彼は愛嬌のあるなまりで話す





「帰らないって。どうして」

「帰る理由がないから」

「お墓参りしないの?」

「それを言うなら、君も去年帰省はしなかったろ」

「忙しかったから・・・」

「・・・」





さらに、皿に盛られたフライドポテトをくわえて

藤井さんは子供のように口をもごもごとさせる



そして、わたしが凝視しているのを感じてか

観念したように言う

























「別れたんだよ」

「別れた!?小夜さんと?」

「2ヶ月前ね」







2ヶ月。そんなに前に。







という顔をしたが、言わないでおいた

というより、言葉にならなかったのだ



















小夜さんというのは、藤井さんの恋人だ



一度だけ、こちらに遊びにきたときに紹介をうけたが

名前のとおり、小柄で、夜のように物静かなひとだった

てつやが渡米する日程にあわせて

4人で夕食を食べ、編み物と珈琲のおいしい淹れ方について

5時間も話し込んだ思い出がある

はかなげだが、お酒がとても好きで(藤井さんよりも強かった)

笑うと八重歯がのぞくところには、あどけなさも感じた



そのころのわたしから見た

そのころのふたりは

まるでわたし達とはちがった生き物がふたり、そこにいるような

とても大げさだけれど、つまり、

あまりにわたし達(諸々の人々)と違い、また、ふたりがあまりにおんなじだった

お似合い、という言葉では物足りない

ふたりが、ふたりでいないことがあまりに不自然な

そんな組み合わせだったように思っていた










そうなると

なぜ別れたのか、など私にとって聞くもおそろしいことだった

















「うまいな。このベーコン」





藤井さんはハンバーガーを貪って

さらにはそれにはさんであるベーコンを、目をとじて味わっている

わたしがあっけにとられているのも気にせずに



上司であることを忘れれば

本当にこの人は、マイペースというか

しょうもなく変わっていると言える











「どのくらい、つきあってたんでしたっけ?」

「7年・・・いや、8年か」

「・・・」

「時間なんて関係ある?」





どうやら関係ないらしい

彼にとっては





「なにか、変わりました?」

「別に、何も」

「何も、ですか」

「日本に帰る頻度が、減ったぐらいかな」

「・・・」









わたしは思わず閉口してしまう

”減った”という言い回しは間違っている



彼の場合、年に一度しか帰らなかったのが

ついに皆無になってしまったのだから

”減った”どころの話ではない































「食わないの?」

「食べますよ」







このひとは、どうやら私のサンドイッチまで狙っていたらしい

黙って立ち上がり、カウンターへもうひとつ

ハンバーガーを注文しにいった



先に話された、私の人事の話より

たった今の告白のほうが私には大きなニュースだった

なんだか頭が混乱する



































「帰る理由」





















わたしは、おとついまで私に会いに来ていた恋人を思い出す

ツアーがおわり、まとまった休みが2日とれたとたんに

その2日間を、迷わず私にくれた恋人を



てつやがこちらに着いた日

わたしは仕事がおわらず、空港まで迎えにいけなかった

てつやは住所のメモだけを頼りに、

タクシーでわたしのアパートへきて

わたしが帰ってくるまでその前でずっと待っていてくれた

「ぜんぜん待ってないから」と笑っていたが

あとで聞いたジャスミンの話によると、少なくとも2時間はそこにいたらしい



部屋にはいると、てつやはどうしようもなく切ない顔をして

わたしをきつく抱いた

わたしの耳元にあたったてつやの唇は

なにもこぼさなかったけれど

「さみしかった」も、「会いたかった」も、「愛してる」も

全部、体温でわたしの体にしみこんでいった



そのとき感じたぬくもりに、まちがいなく私を満たした

















いろんな話をしたいのに、その日わたしたちははずっと

ベッドの中にいた



メールでも交わせるような会話はすべて後回しだった

この人に一番足りていないのは

わたしの体温だとわかっていたから









てつやはとても強引で、いつも切なげだ



















そんな顔は、最近になってはじめて見た





当然だろう





わたしは、彼と結ばれたとたんに

海をこえてこんなに遠くに来てしまったのだから









































「帰る理由」





























充分にあると思った

わたしの体温を届けるために、

彼のために、日本へ帰るんだ




















































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