羽化















蝶が羽化する瞬間を、偶然見られるということは
とても珍しいことだ

彼女が大人になる瞬間を、僕は見ていたのに
そんな羽ばたく瞬間の、あのなんとも心細い気持ちをもう忘れてしまった僕は
君をいとも簡単に傷つけてしまった
飛び立とうとするその足場をぐらつかせ
その瞬間までそっと握っているべきその手を
僕は強引に離した

それが必要なことだと思った
ただでさえ不安定な足場を支えられなかった

そばについててやる人間が
本当に僕でよかったのか、それがとても気がかりだった。















彼女は3本目になるビールの中身を
どぼどぼとグラスについだ


「これ、終わっちゃったらコンビニに買いにいこう。」


僕は目を丸くする
彼女がこんなに飲めるとは思わなかったのだ






「まだ飲むの?」
「ダメ?先に飲もうって言ったのはそっちだよ。」
「いや、いいけどさ。俺はこれ以上は飲まないよ。」
「えー飲めないの?」
「飲めないんじゃない。0時以降は飲まないことにしてんの。」
「なんで?」
「・・・体に障るから。」
「おじさんじゃないんだから!」
「いや、おじさんだよ俺は。君から見たら特に。」
「・・・きたやまさんっていくつ?」
「・・・33。」
「マジで!?見えない!」
「そりゃどうも。」
「やっぱり人前に出る人って若くいられるんだね。」



都はまたスイスイとビールを飲んだ

さっきとはうってかわってご機嫌そうな表情
声のトーンも高いし、とにかく楽しそうなのはよかった

僕は実は明日、しっかりと仕事があるのだが
今夜は彼女にとってつらい夜になるところだったのだから
これくらいのことで彼女が笑っていられるなら
体がもつ限りつきあってもいいと思った




でも、今夜は夕食が早かったせいもあって
僕はすきっ腹にビールを飲んでしまったようだ

なんとなく普段よりもアルコールの回りが早く
いつもより口元が緩んで、言葉もぞんざいになっているのがわかる

もちろん、こんなのは酔っているうちに入らないが






「その感じだと10代の頃から飲んでたでしょ。普通に。」
「やっぱりバレる?」
「もちろん。まぁ、律儀にハタチまで待って酒飲む人も少ないけどな。」
「そうだよ。お酒は彼氏に教えてもらったの。」

そう言ってまたビールを飲む都
さっきまで三日月型だった瞳は、もう笑ってなんかいない

「そうなんだ。」
「うん。あいつも酒強くてさ。実家でよく一緒に飲んでた。」
「実家で?」
「そうそう。あいつのお父さんが酒豪でさ。私よく酒盛りつきあわされたもん。」
「すごいね、高校生相手に。」
「お正月とかすっごいの。うちのお父さんとあっちのお父さんが仲良しでさぁ、大盛り上がり。うるっさいの。」
「仲良いんだ。」
「・・・うん、まぁ、幼なじみだし。親同士がもともと仲良くて。」
「そっか。」


空になったビールの缶を都の白い手でにぎると
ちいさく、ぱき、と音がした

それと同時くらいに、都が洟をすする音



「・・・ごめんね。また泣けてきた。」
「いいよ。今更我慢することない。」
「・・・はずかしい。こんなふうに、知り合ったばかりの人んちで、飲んで泣いて。」
「知らない人だからさらけ出せるってのもあると思うよ。俺は仲良すぎる人には悩みは話さないし。」
「そうなんだ?でもそうかも。私地元の友達にまだ誰にも別れたこと言ってないもん。」
「まだつらくて話せないからじゃない?」
「ううん。言いたくないの。彼氏・・・元彼とバカやって、涙なんか人前で絶対見せないのが私だったから。」
「うん、そうか。」
「生まれた頃から一緒なんだよ?保育園も、小学校も、中学高校も、部活だって一緒だったんだから。」
「それはまたすごいね。」
「でしょ。つきあい出したのだって、いつの間にかってかんじ。色っぽい馴れ初めじゃ全然なかった。」
「いつから?」
「中1かな・・・周りがそういうの、できはじめて、つきあってみる?みたいな感じで。」
「それが、8年も続いたってことか。それはある意味すごいよ。」
「そう?でもそんなだから考えてみれば、あいつに一度も好きって言われてないのよね。
 そうなると、単に別れるきっかけがなかっただけかも。ずっと一緒にいすぎて・・・」








”ずっと一緒に・・・”
自分の言葉で、また彼女は次の言葉をつまらせる
おそらく上京してきて改めて彼の大事さに気付いた矢先だったんだろう


いつの時代も、どの年代も
男というのは常に情緒的にすこし欠落している部分があって
無邪気で、大雑把で単純で、楽観的で、そして残酷なのだ



都はもう一度ビールを飲み干すと
おおきくため息をついて、左手を額にあてたまま
眉間にしわを寄せて目を閉じた

何かを思い出すような、祈るような、耐えるような
そんなポーズだった



「きたやまさん。」
「ん?」
「今から言うこと、聞いてあきれないでね。」
「うん。」
「子供だって、笑ったりしないで。もし思っても、何も言わないで。」
「うん、大丈夫だよ。」
「それから・・・」
「それから?」
「・・・聞いたらすぐに、忘れて。」




無機質な声になっていた
彼女は目を閉じて、今、心をからっぽにしているのだと感じた












「彼が人生のすべてだった。彼を忘れるってことは、今まで生きてきたこと全部、忘れるってこと。」
























何も言わないでと、言われた





だから僕は、そっと、本当にやさしく

彼女を抱きしめてみた




ただ僕は、この大きすぎる言葉を受け止める術を
ほかに知らなかったから



























































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(c)君に僕のラストソングを


photo by <NOION>
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